もう高校を卒業して3年が経った。2021年から気づけばもう2024年。歳月は私の思い出を風に吹かせるように、あっという間のスピードで流れていく。卒業式の日は、まだ一月で寒かった。体育館では凍り付いたような冷気が足元に流れていて、卒業という人生の門出を切なく彩っていくようだった。
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あの頃はコロナが蔓延してまだまだ緊急事態宣言などの厳しい措置が取られていて、本当に厳粛な式だったと今でも思う。卒業証書を受け取ることも、校歌を歌うことも、すべて教室で行われ、式中は卒業生も言葉を発することがなかった。そんな状況のなかで私は「さようなら、ありがとう」と伝える相手が限られていることも、切なく感じていた。
3年間担任をしてくれた先生には、正直何の恩もなかった。むしろ、さようならできる卒業式の日を晴れ晴れしく思った。快感ともいえる喜びに私は舞い上がっていた。だから、あえて「3年間ありがとうございました」なんて湿った言葉などお世辞でも言いたくなかったし、一切の忖度をやめた。大きな支配からの卒業といっても、まったく青春の甘酸っぱくてウキウキするような味わいはないけれど、それが私にしか生きられない高校時代だった。
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卒業式が終わると、教室でスマホをもって記念撮影しているクラスメイトや、特に2年生から3年生のときに仲良くしてくれた友達が私には眩しく見えた。青春だなあ。教室をでて下駄箱まで行く道のりに職員室があって、そこで立ち止まった。やはり直接、3年間のお礼を言うために職員室に寄って担任に挨拶したほうが良いのだろうか。そんな考えが脳裏に浮かんだけれど、開き直るようにやめた。職員室を素通りした私は、全く何の罪悪感もなかった。むしろ開放感で満ちあふれていて、走り出したくなるほどだった。
さようならという言葉の重みに戸惑っていた18歳の自分。コロナ、コロナで縛り上げられた青春。だけど集団行動や大勢で集まるイベントが苦手な私にとって、ちょっぴりコロナに救われていた瞬間でもあった。そんな青春にもさよならすることは、新しい自分と出逢うこと。新しい恋と出逢うこと。新しい青春と出逢うこと。さようならの先には輝かしい未来が待っているじゃないか。あの時担任に心の中で「ありがとうございました。さようなら」と伝えた私は、今でもさようならできない青春に思いを馳せている。どうしても10代の思春期真っ盛りのあの頃に、別れを告げられない私と、それを知らずにのうのうと教師をしているあの頃の担任。交わることのない2つの心だけが、今も変わらずにずっしりと残されている。
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高校時代はちっぽけだった。しかしながら現在、4月から始まる卒業研究に向けて高校生の恋愛小説を書いている私は、まだ高校生の自分とはさようならできていないのかもしれない。高3の夏というキーワードだけでウキウキするのは私だけだろうか。コロナがなかったら、もしあの頃大恋愛をしていたら。そんなタラレバから新しい物語を生み出せる気がして、今の私はワクワクしている。きっぱりと、「さようなら」できたことと、まだまだ青春から離れたくないと意地を張る自分が情けなくも、面白い。
こうしてエッセイを書いている21歳の冬を18歳の私は驚きながらも、嬉しく思うだろうか。もし18歳の私が「あんた、すごいじゃん」って褒めてくれるなら、それはそれでいいと思う。そこは後悔しなくていいし、堂々を生き続けたらいいのだ。もちろん私だけじゃなくて、コロナで奪われた高3の夏にさようならできない人は沢山いる。もうあの時には戻れなくても、18歳の夏にさようならできなくても、目の前にある「今」をひたすら生き続けたら良い。それで大きく転んだら、またやりなおせばいい。
あの厳粛な卒業式が教えてくれた、さようならの意味が私を成長させているのかもしれない。