29歳になった。らしい。
1月。早生まれの私。
20代が終わるまであと1年。
20歳の頃、彼氏がいなかった私。
「幸せになってほしいよ」と女友達に応援されるのに、少し笑ってはにかんでいた。
21歳になった私。大学ラストの1年を意識して、焦っていた。
素敵だと思う人にも出会った。けれど、その人は私を恋愛対象としては見てくれなかった。
22歳になった私。忙しいのが当たり前の業界に入って、それに順応できなかった自分に失望した。悔しかった。夢だった業界に入って、今までにないくらい失敗した。
私が甘かった。周りの期待に応えられなかった。
20代、働き始める
23歳の夏に会社を辞めた。その年末に人生で初めて「好きかもしれない」と告白された。
急だった。ひとまず行ったデートで、相手は私の返事を聞かなかった。
LINEでフラれた。告白のクーリングオフ。
24歳、最悪の始まりだった。仕事も彼氏もなかった。それでも最高だった。次の仕事に向けて資格の勉強を始めた。
25歳になった私。その資格のおかげで就職した。好きな人もできた。けど、その人とはいい友達になっただけだった。
26歳、仕事に恋していた。仕事。仕事。寝る。仕事。自分に合う場所を見つけた。
27歳。職場の後輩に怖がられた。私が先輩を怖がっていたのに、私が怖がられる側になった。悲しかった。
28歳の冬、病気になった。治ることのない難病で、症状が激しい時と日常生活を普通に送れるましな時を繰り返すらしい。自分の体のことを考えた。
ずっと飲み続ける薬。処方されるとき、「妊娠の計画はありますか?」と聞かれた。
自分が子どもを産むことはないかもしれない。
こんな体のやつと恋愛する人なんているんだろうか。
「幸せになって」の呪い
「幸せになってほしいよ」と言っては去っていった友人たちは、世の中で言われる幸せを掴んでいる。ただ、話してみるとそちらの世界も大変だ。
自分の病気の通院で消える有給。
子供ができたら?
不妊治療を始めたら?
どうも難しそうだ。
病気を理由に諦められることに、実は感謝している。
20歳の頃、バレンタインの夜。
私は知り合ったばかりの人にホテルに連れ込まれた。
ある人はそれはレイプだといい、ある人はそれを最後まで及んでいないからよかったねというような出来事だった。
20歳の私が、はにかむしかなかった理由である。
遠い過去と今の私
あれから9年。それは遠い過去になった。私が恋愛しない理由の底にその記憶はある。
一方で、私は仕事に恋しているところもある(気が散る恋愛は避けたい)。
病気を隠れ蓑に、私は他の理由を隠す。
それでも思う。
もし「君」があの角から振り切って電車に乗ってくれれば、もっとまともな人生だった。
もし、「君」が仕事ばかりにならず、自分を大事にしていれば、病気にならなかったかもしれない。
ただ「君」が29年分の沈澱された思い出と共に生きて行く次の時間を。
私は心待ちにしている。