私には、やり直したい春がある。
思い出すのは、大学の卒業式の日。
卒業式が終わり、地元から来てくれていた両親と一緒に、あと数日で退去する家に戻った時のこと。
出来ればこの時間をやり直したいと強く感じている。
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卒業式の後は着替えて友達とご飯に行き、友達と別れた後は当時付き合っていた彼と会う予定を立てていた。正直、卒業式よりこっちを楽しみにしていた。着替えて早めに家を出るつもりだった。
でも母は違った。
父は「あと数日のひとり暮らし楽しめよ」と言って、早々と車に戻って行った。母も出て行くかと思いきや、なかなか動かない。何を話していたか覚えていないが、それくらい取り留めのない話をして時間が過ぎていった。
とは言っても10分くらいだったと思う。それでも来てくれた人を追い出すことは出来なかった。その後の予定が楽しみだった私には、永遠に続く時間のように感じた。
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ふと気が付くと、母は泣いているようだった。泣くのをバレないように精一杯我慢しているようだった、とするほうが正しいかもしれない。
第一子である私が学生を終えて社会人として働き始める。ここまでたくさん辛いことや大変なことがあっただろうから、その区切りである今日という日に何か感慨深いものが湧き上がっていたのかもしれない。
私は、母が泣いていることに気が付かないフリをした。
今考えると最低だと思う。
改めてこれまでの感謝を伝えるべきなのに、その後の予定が後ろ倒しになっていくことへのストレスから、その涙を見なかったことにしたのだ。
結局最後まで母は、私への思いや自分の気持ちは何も言わず、ちゃんと引っ越し準備進めるんだよと言って部屋を出て行った。
少しもやっとした思いを抱えながら今日まで来てしまっている。
感情を見せるタイプの母が、あの日は泣いていることを悟られないようにしていた。
だから今だに、どんな思いだったのか聞くことが出来ていない。
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30年近く生きてきて、涙には4種類あると学んだ。
1つ目は感動の涙。何かを成し遂げた時、誰かが夢を叶えた時。おめでたいことや、琴線に触れる出来事を目の当たりにすると、嬉しさや安堵から泣いてしまうことがある。
2つ目は怒りの涙。どうしようもないことにぶち当たると涙が出る。ある意味、絶望をも表しているのかもしれない。
3つ目は笑い泣きやもらい泣きの涙。笑い過ぎて泣くこともあるし、関係ないのに第三者に感情移入して泣くこともある。
そして4つ目は悲しみの涙。悲しくて泣いてしまったことはあまり思い出したくない。
卒業式シーズンになると、母の涙はどのタイプだったのか考えることがある。
感動の涙(親子で歩んだ20年を思い出し感極まっていた)以外に想像は出来ないけれど、正解が分からないがためにいつまでも思いを馳せてしまう。
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子育てがひと段落することへの喜びなのか、寂しさなのか。娘が独り立ちするまで育て上げた自分への賛辞かも。でもこれから実家暮らしに戻るのに寂しさはあるのだろうか。
はたまた引っ越しが近いのに準備が進んでいないことを怒っていたのか。
正解は分からない。
「卒業式」にはどんな気持ちが溢れるのだろう。
いつか自分が子どもを持ち、我が子の卒業というものを経験した時に初めて、あの時の母の気持ちに少し近付けるのだと思う。答えを探し続けていた自分を「分かってないな、もう」と微笑んで思い出す時が来るまで気長に待つことにする。
そうして自分なりの答えに辿り着いた時、母に話をしよう。