「なんで、こんなこともできないの?」、「君は頭も悪いし、要領も悪い」、「こんなに出来が悪いのは君くらいだよ」。

狭い密室で、私よりも2回りほど年上の男性が舌打ち交じりに言葉を放つ。悔しくて唇を噛んだ。うつむきながら大粒の涙をボトボトと落とした。うまく呼吸ができなくて「ヒュッヒュッ」と喉がなっていた。

そんな私を見て相手は言葉を続けた。「こんなことで泣くなんてこっちが悪いみたいじゃん。気分悪いからやめてくれる?」。それを聞いて、私は涙を止めようと目をぐっとつむった。だが、閉じ切った瞼の隙間から、ダラダラと涙は流れてきた。

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私とその男性が人きりで入っていた密室は、車の中。そこは教習所だった。

早生まれだった私は、高校3年生の1月まで教習所に入所できなかった。そのため、本格的に通い始めたのは2月からだった。ここから数か月かけて免許を取れば今回のような叱責を受けなかったかもしれない。

だが、私は進学のため3月末には地元を離れることになっていた。私は約2か月で免許を取得する必要があった。そのためには、担当教習員を指名するのではなく、毎回違う人が担当になるが空いている教習員にお願いするしかなかった。

教習員によって教え方は様々だった。感覚的に教える人もいれば、論理的に教える人もいる。そして、褒めながら教える人もいれば、終始怒りながら教える人もいた。

車の運転は、人の命にかかわることだから、厳しくなるのも仕方ない。私も最初はそう思っていた。そうは思うものの、密室で怒鳴られ続けるのはかなりしんどかった。できるだけ怒らない人に担当してもらいたかったが、そういう教習員は人気でごくまれにしか空きが出ていなかった。

時間のなかった私は、一番早く予約のできる先生を選んでいた。多分、この時点で私の心に小さな亀裂が入っていたのだと思う。

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私は運転に自信が持てないまま仮免試験に必要な実技の回数が終わってしまった。受かる気がしなかった私は、受付の人に、もう少し実技を練習できないか相談もした。

受付の人は、「それでもいいですが、あなたの場合あまり時間がないのでとりあえず仮免試験を受けてみることをお勧めします」と、アドバイスをくれた。私はそれに従った。

だが、もし私がもう一度その日に戻れるなら、何としてでも試験を先延ばしにするだろう。

不安なまま迎えた仮免試験の日。仮免試験は受験者2人と教習員1人で行われる。教習員が助手席に、もう1人の受験者が後部座席に座る。これは公平性を保つためのルールとのことだった。

最初に運転したのは、もう1人の受験者だった。何事もなく快適に1周まわって帰ってきた。快適な運転でお手本のようだった。
そして私が運転する番が回ってきた。案の定私は、S字カーブで前輪を脱輪させた。焦って切り返すと、今度は後輪が脱輪……。隣の席から聞こえる、教習員の舌打ち。だが、いつものような怒鳴り声は聞こえず、なんとか停車位置まで帰れた。

「君は先に降りて」と教習員はもう1人の受験者に伝え、私は車内に残された。そして、2人きりの車内に怒鳴り声が響き渡った。そして冒頭の罵声を私は浴びた。

頭が真っ白で、3~4言目ぐらいまでは思い出せるが、その先の言葉は今でも思い出せない。罵声が続いていたのか、フォローの言葉が続いていたのか……。2人きりの密室の出来事を証明できる人は誰もいない。

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私は泣きながら、自宅とは逆方向の電車へのった。その日は終電が過ぎても家に帰れなかった。教習所の決して安くはないお金を払ってくれた親に合わせる顔がなくて。教習員の罵倒が頭の中で何度もリフレインして。

次の日私は、教習所に向かった。受付で昨日の出来事を話したが、「試験の時は教習員を選ぶことはできません。公平性が損なわれるので」と、事務的に返されるだけだった。謝罪も、配慮も何もなかった。私は、そのまま退所手続きをして、教習所から逃げ出した。

あの時の試験官が違えば、仮免試験の前に追加で実技練習をしていれば、諦めずに免許を取れていたかもしれないと思う時がある。反面、頭が悪くて物覚えが悪いと評価された人間に免許を与えないことで交通の安全を守ることができたのかもしれないとも思う。