「私、『スティーブ・ジョブズでさえ替えは効く』って言葉好きなんだ」
私の恋人はMBTI(性格診断)では討論者のくせに普段あまり討論なんてしない。哲学的な話、深い話、悩み相談、そういう重めの話を始めると、嫌ではないのだろうが、困ったように頷いて話を変えようとしてくる。だから、半分独り言のつもりで助手席で私は話し始めた。
「仕事である以上、どこかで必ず嫌なことは出てくる。もうやりたくない。これは私の好きだったことじゃないって。だから私は好きを仕事にしたくない。私は私の好きなもの、私にとって大切なことを嫌いになりたくない」
「長期インターンとアルバイト、両方経験して、お客さんとしても色んなモノやサービスを自分で買うようになって思う。世の中の仕事のほとんどは時間をお金に換える仕事と、スキルをお金に換える仕事もしくはその両方にしか分類されないんじゃないかって。笑顔一つ見せない若いホテルマン。スマホをいじる受付嬢。別に時間をお金にするのが悪いとは言わない。ただ、それにかまけている人を私は好きになれない」
繋がっているのかいないのかわからないような話に、うんうんと頷く。いつもと同じ。
でも、私が一通り話すと、彼は一言言った。
「替えは、効かないと思う」
最初に言ったスティーブ・ジョブズのことだろう。
◎ ◎
「そう?スティーブ・ジョブズがいなくてもアップルの業績は右肩上がり。ウォルト・ディズニーがいなくてもディズニーは夢の国のまま。なのにまして私なんか、この人じゃないといけないなんてこと、この社会にないといっても過言じゃない。だから……」
珍しく私の言葉を遮って彼が言う。
「そんなに悲しいこと言わないでよ。アップルがうまくいってるのも、夢の国があり続けるのも、スティーブ・ジョブズやウォルト・ディズニーが後輩を育てたからじゃない?それでその人がまた次の人を。そうやっていったから、この人じゃないとが、ないんだと思う。彼らがいたから周りが育った。いなくてもよかったってのとは少し違うと思う」
ああ、やっぱり私の恋人は世間知らずの坊々(ぼんぼん)だ。私がいなくてもいくらでも有能な人なんている。
ボランティアではなく仕事としてやっている以上、「ありがとう」の言葉がもらえないどころかぞんざいな扱いを受けることだってある。それでも私達は慇懃無礼に接しなければならない。お金をもらっているから。給料が発生している以上、仕事をするのは当たり前。感謝されることも必要とされることも有り難いこと。私だってそんな偉そうに語れるほどには社会を知ったわけではないが、少なくとも裕福な家庭で育ってきた彼よりは分かっているつもりだ。
それに、彼は大きな勘違いをしている。私は別に、「この人じゃないといけないなんてことないから、お前は必要ない」と言いたいのではない。視点が逆だ。自分がいなくてもその仕事は回る。だから、自分の好きなことをすればいい。周りを気にして勝手に縛られて、やりたいことや進みたい道を諦める必要こそないのだと言いたかった。
◎ ◎
私の恋人は格好悪い。世間知らずな上、せっかく一生懸命言った一言がから回るほどに。
だけど、彼の言葉が嬉しかった。いつもクールな彼が人のつながりを説いたことが。私が自分の枷を外すために犠牲にしたこと、見ないふりをしたこと:“私じゃないとダメと、心から必要としてくれているのかもしれない可能性”を言ってくれたことが。
きっとその人じゃないと回らない仕事はない。だけど確かに、その人がいてよかったことはあるのだと思う。そう思える仕事を、これからのキャリアで積み上げていきたいと心から思えた。