「もうこの棚にあるアイラは全部飲んだね」
「そうやな、ハイランドいく?」
「うん、ピートが強ければなんでもいいよ」
最寄り駅と家の間にあるバーに行くのが日課だった。一人暮らしをしている家にすんなり帰れる日はそんなになくて、毎晩のようにバーに入り浸った結果、棚に並んでいるウイスキーで飲んだことのないものは、なくなった。
酒屋からどの酒を仕入れるかマスターと一緒に選ぶくらいに、お店でカラになったブラントンのボトルキャップを全種類集められるくらいに、カランとドアの音が鳴って振り返るとほとんどの人が顔見知りであるくらいに、毎晩飲んだ。
大したアテはなく、マスターの作るポテトサラダが私の晩御飯だった。そこで過ごす時間に癒されて、明日も仕事を頑張ろうと思えた。営業成績が好調である今、毎日が楽しかった。
◎ ◎
私の朝は早い。誰よりも早く出社をする。誰もいないオフィスが好きだった。珈琲を飲みながらメールチェックをして、みんなが出社する頃には1社目の商談へと向かう。商談はうまくまとまり今日も受注に至る。オフィスに戻って事務作業をして、明日の商談の準備をしたら帰る。そして今夜もまたバーへ行く。
「今日はジンにしようかな」
「あ、ビクトリアンバットのカリラカスク入れたよ」
「最高、それにする」
「飲み方はどうする?」
「ん-、ソーダで、ライムは別で添えて欲しい」
飲みながら会社のiPadを触る。メールを開くと、先日行った商談先から連絡が来ており70万円の商談が決まっていた。嬉しくなって、また飲む。ポテトサラダとジンと煙草を摂取して、明日の朝も早く起きて、誰もいないオフィスへ1番乗りする。最高に気分が良かった。
◎ ◎
テレアポ、商談、訪問準備、新規の開拓、既存顧客のフォロー、追加提案、部下の同行、会議、来期の予算組み、テレアポ、商談、訪問準備…。永遠にやることがあった。永遠に飲んだ。このリズムと生活スタイルが私には合っている。とてもうまくいっているから、変えたくない。このまま、走り切る。どこに向かっているのかは全く分からないけれど、とにかく走り切って、毎月の予算を達成して、昇格して、もっと頑張るんだ。何のためにかは分からないけれど、まあ、いいじゃない。うまくいっているのだから。
◎ ◎
誰もいない朝のオフィスでぼうっとする。昨夜は飲み過ぎた。身体が重い。今日は商談も少ないから、たまには早く帰って寝るかと考える。惰性でするテレアポ、お昼ご飯はオフィスグリコに置いてある小さなカップラーメン、商談に行った帰り道カフェでサボる、オフィスに戻って最低限の事務作業をして、一人暮らしの家に帰る。
冷蔵庫を開けるとビールとワインとチンザノしか入っていなくて、仕方なく水道水を飲んだ。コンビニで買ってきたカルボナーラにタバスコを思いっきりかけて食べると舌が痛くなったのでビールを飲む。明日も早く出社しないと。シャワーを浴びて、寝る。
—商談が決まらなかった。昨日、バーに行かなかったからだ。今夜は行こう。
—やっぱりバーに行った翌日は調子がいいな。商談が決まった、嬉しい。
—あれ、バーに行ったのに商談が決まらなかった。過去に提案していた案件も失注した。
—飲む量が足りないのかな?前はもっと飲んでたよな、うん、足りないんだ。
◎ ◎
「最近痩せました?」
「ポテトサラダばっかり食べてたら痩せるからおススメだよ」
「お昼もカップラーメン小さすぎませんか?」
「なんか、食欲が湧かないんだよね」
ご飯を食べて美味しいと思う気持ちが分からなくなった。食べ物が体内に入ると胃が痛くてしんどかったので、カップラーメンも汁しか飲まなくなった。痩せて、力が入らなくなって、営業成績は落ちて、だけど、飲み続けていたあの日々の成功体験が忘れられず、力の出ない身体で、過去をなぞるような生活をした。
動けなくなった。休日はベッドから出られず、定時ギリギリに出社するようになった。予算の未達が増えた。仕事が楽しくなくなった。この会社で高みを目指すのを辞めた。
諦めを選択した時にやっと解放されて、このままでは本当にまずいと食生活を正した。胃の痛みは軽減されて、少しずつご飯が美味しいと思えるようになった。酒を飲んだら営業成績が良くなるという自分で作り上げたジンクスに縛られて壊れたあの日々の記憶は夢だったのかと思うくらいに目まぐるしかった。
だけど、いまでも手元に残るブラントンのボトルキャップたちが、存在した過去だと教えてくれる。あまりにもがむしゃらに生き過ぎていた過去の自分を思うとちょっと笑ってしまうけれど、それくらい大真面目に壁にぶつかれたのも若さ故だよなと、微笑ましく振り返る。だから、もし今しんどい人がいても全然大丈夫だよと、本気でそう思う。