昨年仕事を辞めた。
私はいま32歳で、10年仕事を続けてきた会社だけど、もういいやと思った。
コロナで一度は焼け野原みたいになってしまった業界だったが、だんだん復興の目途が立ってきていた。あとは上がるだけだとすら言えるタイミングだったろう。
普段通りの日々を取り戻すうちに、自分がやっていることは入社して12年目と何ら変わらないことに気づき、急に嫌になってしまった。年だけ重ねて、もはや私が支社の女性社員の中で1番年上で、(まあコロナで大幅に社員をリストラしてしまったからなんだけれど)後輩とあまり給料も変わらず、胸をはっていえるキャリアもない。
10年なにをしていたのだろうか。

◎          ◎ 

もちろん暇だったわけではなく、やりがいも感じていた。
自転車操業のように次から次へとやってくる業務をこなし、あまり色々考えなかった。そしたら、私が必死にっているつもりだったものは階段ではなくて、大きな円だったのだ。
ふりだしに戻ってしまったと感じた。
若い会社だったので若い子が多かったが、会社自体がまだ未熟で、たくさんの子が色んな理由で去っていった。
それでも残り続けた私にたいした理由は無くて、ただそれができたからだ。
もしそのまま続けていたら、いずれ何か役職についてキャリアと呼べるものになっていたのかもしれない。
ただ、私のイメージするキャリアはその先には無い気がした。

◎          ◎ 

だから何か挑戦したくなったのだ。
今から10年頑張れば、42歳の時には何者かになって「キャリア」を築けるかもしれない。
そう思い立ってWEB系の学校に通うことにした。
オンラインだったが毎日課題があり、毎週のわずかなZOOM面談の時間を無駄にしないよう先生に質問をした。
分からないことが分からず泣きたくなって、さまざまな背景のクラスメイトとSlack上で励まし合った。
向いてないかも、今更かも、そんな不安を抱きつつもとりあえず手を動かし続けて約半年。無事卒業して、そして……今は無職だ。
実務経験が無いとなかなか採用に至らず、ましてや地方だと職自体少ない。
もちろん色々考え調べた上で選択した行動だが、心の片すみで危惧していた結果になってしまった。

私は5年前に結婚している。まだ子供はいない。
妊活にも割と本腰をいれているつもりだが、いつまでも体は一つのままだ。
母親で、かつ仕事もバリバリ続けている友人と会うと心がズキッとする。
「母親になって女は一人前」、そんな気持ちは毛頭ないが、キャリアも築けず、母親にもなっていない自分はとても怠惰で、どこか無意味な存在に感じてしまう。
どうしても好きになれない。

◎          ◎ 

いつだってないないづくしだ。
かわいい人に憧れて、頭のいい人に憧れて、いい会社に勤める人に憧れる。
隣の芝はいつだって青い。
でも、私はちゃんと分かっている。その芝の管理人は、ちゃんと芝に栄養を与えていたんだと。
天から勝手に降ってきたわけではなくて、人の目に触れない部分でコツコツと積み上げたものが輝かしい何かになって初めて周囲は認知する。
それが人によって遅かったり早かったり、咲いたり咲かなかったりするんだろう。
さて、では私はどうだろう。
まあ今のところ、咲いているとはいいがたいかもしれない。
ただどこか、私は道半ばだと思っている。
いい年で通った学校も、キャリアには繋がらなくとも人生の脇道くらいには繋がっているかもしれない。

母親にも、来年なっているかもしれないし、一生ならないかもしれない。
なにやらキャリアとは、ラテン語で轍(わだち)を表すらしい。車輪の通った跡。
跡ならしっかりついているだろう。華やかではなく泥臭いが、悩んだ重さのある足跡はしっかり私の後ろに続いている。
大きな円は、多分、ふりだしに戻ったんではなくて、少し高い位置、螺旋になっているんだと、私はそう信じることにする。