2018年、この年ほどの厄年は私の人生の中で一度も無かったと感じている。年末から風邪のような症状が続き、紅白歌合戦の頃には耳が激痛で気が気でならず、早めに就寝すると翌日は寒さと悪寒が入り交じったような違和感が身体を襲い、加えてトイレに何度も駆け込んだ。
明らかに異様な体調に我慢ができず、両親に相談して急遽夜に病院に連れて行ってもらうことにした。結果はB型インフルエンザ。普通診断には20分ほどかかるが私のものは咄嗟に診断が出て、それだけ症状が強いことを示していた。恐らく人生で一番最悪な年明けだったと記憶している。
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最悪の年明けから1ヶ月と少しが経った頃、舞台は地元から札幌へと移り、再び2日ほどの発熱をした。両親に電話をすると
「今度はA型かな?」
と言われ、かかったばかりだし冗談でしょ〜。と軽々しく笑い飛ばしたのもつかの間、一日の解熱期間を経て再び高熱に襲われた。早朝に7度だった熱は9度7分まで上昇し、このままいったら死ぬのではないかと救急車を手配し、母校の大学病院へ運ばれた。結果は母の予想通りで、予防接種済だというのに2ヶ月の間に二度もインフルエンザにかかってしまった。
そして忘れもしない日が2月23日にやってきた。詳細は「死に直面したあの日。命が有限であることを知って、私は変わった」に書いてあるので割愛するが、私は研究室の食事会中にてんかん発作を起こし、その場で意識を失い救急車で運ばれた。
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幸い2日ほどで復帰することができたが、身体に全身けいれんが起こるというのは負担が大きいようで、その後も3ヶ月間に5度も突発的な発熱を繰り返した。動ける日は研究に専念したが食欲は戻らず、調査対象者の先生からは顔色の悪さを心配された。
けれども体調に甘えてはいられない。院生時代の研究「公立中学校部活動における部活動代替措置後の発展過程と現在の維持過程の考察」は、少し歩いただけで息が上がる貧血状態でのスタートとなった。
試練はこれだけではなかった。この年は大学院を修了予定で、就職活動をしなければならなかった。院生の研究は学部のそれと比較し重い。増してうちの研究室は、容赦なく論文を不合格にすることで知られている。そんなプレッシャーの中、同時並行で就職活動をするのはハードだ。それを知りながら進路を決める重要な時期に、インフルエンザとてんかんの後遺症で3ヶ月も身動きが取れなくなってしまった。重い身体を動かして起床し、業界研究をすると同時にESを記入する。
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そして研究も行う。休む暇など無かった。実際に就職活動をして露わになったのは、発達障害の症状だった。とても突発的に始めたとは思えないほど完璧にESを記入し、選考を通過する。
しかし、説明会の段階では会場にたどり着くのが難しい。私は19の時からスマホを所持していたのに、6年もの間Googleマップを使用したことがなかった(因みにGoogleマップが音声ではなく地図がメインだと知ったのは昨年のことだ)。
また、玉手箱のようなweb形式のテストが苦手で、そこで不採用となった企業が沢山あった。それが課されない企業の筆記試験に通過すると、今度は下手に専門性が目立ってしまう。発達が凸凹な私にぴったりな企業は中々無く、10社以上不採用になった。
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特に印象的だったのは、イベント開催をメインに行うベンチャー企業の4次選考で不採用になったことだ。この会社は私服通勤が可能で職員の多くはカジュアルファッションを着こなしていた。女子アナやCAのようにきれいに見える服装をして綺麗なのではなく、着こなしが難しいと言われるファッションをおしゃれに着こなしているのである。役員だという男性は若く、普通のポロシャツを着ているが、これまたおしゃれに見える。
福利厚生としてはバースデー休暇の他に記念日休暇が設けられ、男性の多くは既婚者だが、女性は逆である。リア充と陽キャのための職場だった。肌では感じ取っていたが、私には一番不向きな職場だ。業務内容はイベントを企画し現地で開催することで、一度に複数のことを処理しなくてはならない点で発達障害の人には向いていない仕事である。
イベントは随時つきまとうトラブルの対処や場の空気を読むと言った臨機応変への対応が求められる。とても私の働くべき職場ではなかった。憧れだけで職を選ぶのではなくキャリアを身につけようと思って挑んだ就活だが、イベントでお客さんを楽しませると同時に自身も輝きたいという憧れが先行した職業選択となった。結局役員面接で不採用となったが、内定した方が悲劇だった。
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最終的にはエージェントが用意した販売職に内定を貰い、内定後鬱の状態で研究を進めたが、心身的な不調やスケジュール管理ができずに上手くまとまらず、半年遅れでの修了となった。頻繁に起こる体調不良、就活で露わになった発達の凸凹、スケジュール管理ができないという不器用さ、飽きた物には取り組まないという性格・・・・・・。
自身の負の側面が一気に露わになった一年であった。結局内定は辞退し、一から勉強し直し公務員に内定し現在に至っているが、現在は幸せを感じる生活を送ることができている。
例え上手くいかなくとも、粘り強く諦めずに挑戦することが大切であることを、この場を持って伝えることができればと思う。失う物は何もないほどどん底に落ちた私が言うのだから、人生に挫折は付きものと思って失敗と共存しながら人生を歩んでもらえれば幸いである。