5歳の息子が保育園に行こうとしないので、退職を決意した。
今日も登園できなかった息子が、隣でコーンに入ったソフトクリームを食べるのに苦戦している。
その一生懸命かつにこやかな横顔を見ていると、とろけるほど幸せだ。
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コロナ禍が始まった年から、息子は保育園に通い始めた。
一度も保育園をいやだなんて言ったことはなかった。
優しい先生とお友達に囲まれて、毎日楽しそうに通っていた。
けれども、とある清々しい朝に、唐突に保育園やめると言い出した。
共働きの親としては、ほんの気まぐれであれと願った。
しかしそこからは、毎朝、保育園行く行かない論争が繰り広げられた。
無理やりつれていこうにも、もう5歳だから、力でどうにかなるものでもない。
本気で暴れる息子を、保育園まで抱きかかえるのは不可能だ。
そこで必死に説得するのだが、まだ5歳だから、理屈では気持ちが動かない。
この世の終わりかのような顔で、保育園やぁだと繰り返す。
完全に、お手上げである。
10年以上働き続けた会社を辞める決断をするのに、1カ月もかからなかった。
綿密に計画をたてようとも、人生は突然の事件で方向を変えるものだ。
まだ5歳なのに、登園拒否するなんて、思ってもみなかった。
そんな事件は、形は違えども誰の身にもふりかかる。
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けれども、これを悲観するか、チャンスに変えるかは本人次第だと感じた。
私は、しぶしぶ退職なんてしない。
キャリアについて悩み続けていた私の背中を、息子が押してくれたのだ。
実際のところ、もう2年近く、キャリアについて悩んでいた。
長く同じ職場にいたから、転職もしてみたかったし、副業もしてみた。
キャリアスクールで、きらきらと輝くロールモデルの女性に憧れたりもしたが、保守的な私は、自分のためには正社員退職の一歩をなかなか踏み出せなかった。
しかし、いざ退職する決断をした後には、その先に、こんなことをしたい、こんなことも出来るとあらゆる可能性が広がって、希望に満ち満ちてきた。
優柔不断な母の背中を押してくれて、ありがとう息子よ。
また、女性ももっと活躍しようというジェンダー教育に縛られていることにも気がつけた。
「社会的・文化的につくられた、性的役割分担」。いまでも空で唱えられるくらい、義務教育ですりこまれたジェンダー教育。
私の世代では、共働きの方が当たり前で、女は働いて税金も納めつつ子育てもしてねと期待されている。
もっと女性が活躍できる社会をという流れの中で、女ばかりがあらゆる役割を強いられることに不満も噴出している。
私自身、あらゆる役割を期待されながら、一生懸命生きなければならないと自分を縛ってきた。
たぶん、もっと自由でいい。
1回くらい唐突に退職して、こどもとの時間を大切に過ごすキャリアがあっても良いではないか。自分なりの軸で選べば、それが正解の道になる。
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2年間の迷いの時間も、柔軟な人生を踏み出す下地を作ってくれた。
大事なのは、常にあらゆる可能性を模索すること、そしてチャンスがきたら、逃さずに決断すること。
何がチャンスになるかは、その人次第。
キャリアの壁と言うと、固くて高くて、登る前提のしんどいものに思える。
けれども息子の登園拒否を、チャンスとポジティブに捉えたら、急にそれがぐにゃぐにゃと柔らかいものに思えて、とろけてきた。ソフトクリームみたいに。
今は、もうすぐそばに迫った退職の日が楽しみだ。
こどもとの時間を大切にして、今後のための勉強もしたい、そうして次のチャンスに備えたい。
将来、この決断を振り返ったときに後悔しないよう、精一杯務めるつもりだ。
息子に、さっきのソフトクリームどこにいったのと聞いた。
無邪気に笑いながら、膨らんだおなかをポンポンと2回たたいた。