目を開けているのかいないのか分からないような暗闇。借りただぼだぼの部屋着。いつもと違う匂いの部屋。すぐ隣からは、眠れないのか何度も布が擦れる音がする。
付き合ってもう4年目。ずっと勇気が出せずにいた。関係が壊れるかもとかではなくて、ただ、心の一番奥の柔らかいところを見せるのが怖かった。でも、社会人に近づくこれからの大切な時間をうやむやに過ごせない。怖さと同じくらい、次彼に会う時こそという、1週間ずっと言い聞かせてきた自分の声が私の心を強引に動かした。
「私ね、寂しいんだ」
まだ起きてる?から始まった取りとめのない雑談。その隙間にとうとう言った、寝言のような、か細くて暗闇に溶けてしまいそうな曖昧な声。隣の衣擦れの音が不意に止まって、私の声がちゃんと届いたことがわかる。やっと言えたという思いと、もう戻れないという焦りが私の胸をじわじわ締め付ける。
◎ ◎
男性がそういう傾向にあるのか、彼だからかは分からないが、彼は心の内を見せることがほとんどない。かと言って隠しているわけでもなさそう。心を開いた素の彼で接してくれていても、私には付き合って4年目というのに彼の心の脆さや、一筋縄ではいかない人間臭さのようなものが感じられなかった。辛いはずの受験勉強も、家族の死も、将来の不安も。まるで彼に心など最初からないかのように。
一方の私は、こうありたいという強い自分に近づけるように外では多少の無理をして、それでいて心の中では実はたくさん苦しんで傷ついて、かと思えば他人に隠れたところで私1人だけの喜びを噛み締めていたりする。
「誰かに強いねってあまり言いたくない。言わないようにしてる。みんな、どこかに見せない弱さや拭えないしこりを抱えているものだと思うから。だからね、あんまり思いたくないの。でも思っちゃうの。あなたは強いって」
「だから、寂しい?」
頷くと、それが見えたはずもないのに彼の腕が伸びてきた。
「でも俺、ちゃんと素を見せてるよ?」
分かってる。素だってわかってる。だからこそ、そこになにもないのが余計に寂しいの。
「あ、ほらいつも言ってるじゃん。なつめさんいないと死んじゃうとか。ほんとだし、それにあれを友達に見せられない。なつめさんだけに見せる素だよ」
バカだなあ。それは惚気っていうんだよ。私が知りたい弱さじゃない。
◎ ◎
ありのままでいてくれるならそれでいいじゃないかという人もいるのかもしれないが、私はそういう自分の心の柔らかいところを見せる相手は、同じ柔らかさを持った人がいい。願わくば、自分の恋人には私の描く強さや優しさだけでなくて、弱さや醜さも知ってほしい。それらを含めて全て愛せなんて言わないから、ただ私の弱い話を聞いてほしいのだ。
「昔、一度だけ聞いてほしい話をしたことがある。でも、あなたはなんて返事したらいいか困って言ったの。『そんなことより、うちで取れたジャンボ白菜が』って」
「白菜?」
どうせあなたは覚えてないだろう。
「その時思ったの。こういう話をしたら困る人なんだって。それが分かったから、余計に話せなくなった」
ああ、困らせないって決めたのに、私は今まさにこの人を困らせている。
「たしかにろくなこと言えないだろうし、困っちゃうと思う。でも、困らせていいから話して。そんなんで関係壊れたりなんかしないでしょ?」
◎ ◎
私の彼氏は優しい。困らせていいって、そんなことでは別れたりしないよって背中をさすってくれる。でも、私の寂しさの原点に彼が気づくことはない気がする。別れるかもしれないから言えなかったわけじゃないということに。
「でも白菜だけは勘弁してほしいな。まだ俺も高2だったし。今だったらもうちょっとマシにはなってるはず笑」
そう言って彼は話し始めた。3年前の続きを。私がたった一度こぼしただけの弱さをすくおうとして。
私の恋人は察しが悪くて、不器用で、デリカシーがないけれど、ちゃんと伝えたことは下手くそに受け止めようとしてくれる人だ。寂しさを、私の代わりに半分持とうとしてくれる、そんな人だ。私を誰より想ってくれるのはこの人だとこれからも、そう思うけれど、思うほどに、この寂しさはきっとずっと拭えないのだろう。
何も見えない暗闇で、彼の優しさを、彼と付き合わなかったら知ることなどなかったはずだろうなと嬉し虚しく思いながら、いつのまにか私は眠っていた。