私にとって、母の優しさの思い出は、"プリンアラモード"と"リンゴジュース"である。

私が小学生のとき、母は、学校の近くにある郵便局で毎日働いていた為、私はおばあちゃんちに帰っていました。小学校から家までの道のりは徒歩1時間以上。牛小屋や豚小屋、坂道を越えて街灯の少ない林のような暗い道を抜けなければ、おばあちゃん家には辿り着けないので、無心で毎日歩いて帰ってました。
雨や台風の日には、周りの友達が公衆電話からお母さんにお迎えを頼む姿を羨ましく見つめるもすぐに諦めて帰ってました。

小学生時代の母との思い出は夏休みの家族旅行程度でしか記憶にありません。
小学生最後の授業参観で行ったタイムカプセル作りは、その場で親と一緒に写真を撮り、タイムカプセルに入れる作業でした。私の親以外みんなくることをわかっていて前日まで大泣きでお願いした記憶があります。
当日、祈りつつも結局来てもらえず、私だけ、当時仲が良かったお友達と担任の先生と写真を撮りました。
これも今思えば少しは笑い話にできるような思い出になってます。

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まででわかる通り、母が平日休みだった記憶はほとんどありません。
そんな中、唯一の思い出があります。
私は年に何回か熱を出し学校をお休みする日がありました。そんな時いつも必ず、昼休憩で仕事を抜け出して帰って来てくれる母。コンビニの袋にはいつもおなじ"プリンアラモード"と"リンゴジュース"が入っていました。

母と2人っきりでいられるたった10分程度の時間。
プリンもリンゴジュースも全然好きではないし、食べ始めで母は仕事に戻ってしまっていたけど、今でも大切な思い出の大好きな味です。

そんな私が現在では小学2年生の母親をしています。
母親になって、仕事と家事育児をこなしていた母の存在は、とても大きな越えられないものと実感しています。
母のように毎日バリバリ働く女性にはなれていないし、学校から徒歩2分で帰れる家に住んでいるし、母とは違った母として私は生きています。

現在、仕事を辞めた母は実家でのんびり、だけど忙しい毎日を過ごしています。
当時から変わったことは、いつ帰っても家にいてくれていること。
電話をしたら出てくれて、駅まで迎えに来てくれること。

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だから今、小学生の頃の私に伝えたい。

「寂しくても、大丈夫だよ!20年後はたくさん甘えられるよ。プリンアラモードとリンゴジューの愛情と思い出さえあれば大丈夫!!」

私の大好きな思い出の味は、ここ数年で変わりました。
それは母が帰る度に作ってくれるポテトサラダです。