小さい頃、本を読んでいて母に取り上げられたことがある。「本なんて読んでないで、外で友達と遊びなさい」。本を取り返そうとする私と、無理に引っ張る母の力が拮抗して、今にも本がまっぷたつに引き裂かれそうになった。

先に手を離したのは私だった。母に屈したのではない。大切な本のために、そうしたのだ。

母と私は何もかもが正反対だった。美人で陽キャの母と不器量で陰キャの私。社交的で運動が得意な母と、内向的で読書家の私。スクールカースト最下位だった私と違い、母は上位に属していたタイプだろう。もし同じクラスにいても、一度も口をきかない、喧嘩にすらならないくらい遠い存在。もし母と娘という関係でなければ、そもそも接点もなさそうなふたり。

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母は私に、ドッジボールの練習をさせようとした。ドッジさえ強ければ小学校でいじめられることはないと。あるいは、運動部に入部させようとした。文化系のクラブはオタクばっかりで、負け組になるからと。けれど私は、ことごとく母の期待に添えなかった。

ドッジでいつも端っこでもじもじしているうちにボールを当てられる私を見て、母はもどかしかっただろうと思う。「私の娘なのに、どうして?」と。

ふたりだけのときに、「あなた、不細工ね」とも言われた。私も子ども心に、母に疎まれているのを感じていた。母の日に皆が何の疑問もなく、「お母さん、生んでくれてありがとう」と書くのに、私は書けなかった。

今は、親の趣味なり世界に子どもを引っ張るのではなく、親の方が子どもの世界を理解しようとする子育てが浸透しているが、母にはそういった発想ができるほどの素養はなかった。母は母で苦しかっただろうと思う。

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小5で初潮が来たとき、それを打ち明けたのは母ではなくて、祖母だった。わが家は父方の祖父母と同居しており、母はずっと働きに出ていたので、実質祖母が母親代わりだった。

私は初潮が来るまで、生理というもの自体を全く知らなかった。だから、血を見て何かの病気になったのではないかと、丸1日ずいぶん悩んだものだ。少し大人になってから、そのことを友達に話したら、「ありえない」と言われた。皆、生理については母親から聞かされていて、自分に初潮が来たときには心の準備が出来ていたという。

私に初潮が来たことは、祖母経由で母に伝えられた。「えっ、もう?」と露骨に迷惑そうな顔をされた。確かに私は体格が良かったし、小5というのは少し早いかもしれないが、母の反応に私は傷ついた。中学生になり、脱毛処理がしたくなった時も、母には言えず、祖母に言って小遣いをもらった。

私は20歳前後に、原因不明の痩せたい欲求にかられて、165センチ50キロから、40キロ台前半までダイエットしたことがある。この時生理が止まったのが嬉しかった。摂食障害の本を読んでいたら、この病気は母親との関係が原因のこともあると書いてあって、妙に納得した。

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母が苦手ということを長い間言えなかった。言ってはいけないと思っていた。親不孝、育ててもらったことへの感謝はないのか、自分で子どもを育てたことがないから、お母さんの気持ちが分からないのだと叱られそうな気がした。

でも今、「毒母」という言葉が広く知られるようになって、母がしんどいということを言える世の中になったことは、とてもよかったと思う。そして今ここに、母への正直な思いを吐露できる場所があるということに感謝している。

こうして書くことで、内面の鬱屈を自分から切り離すことができ、過去の自分が救われている気がする。

今は、母といっても自分とは違う他者である、母だからといって何でも理解してもらおうと思うのは甘えだと思い、適切な距離を置いている。