母は人間の皮を被った化け物だった。

母親はとても外面は良かった。いつも外でニコニコして笑顔を振り撒いていい奥さん、いい母親であったと思う。私自身も幼少期の写真や一緒に出かけたことや楽しかったことを思い出すとちゃんとした母の存在でもあったのかもしれない。

嫁ぎ先で良き人であろうと仕事も家庭のこともしっかりとこなしていた。

しかしそれ以上に母に怒りのスイッチが入ると止められなくなった。その矛先は主に私に向けられた。

◎          ◎ 

4歳の頃に近所の集まりで菓子をもらった時に家に帰った瞬間何かのスイッチが入ったのか、みっともない、食い意地だけは張っていると怒鳴り散らされ菓子を投げつけられた。3時間以上はその時間が続いていた。

自動販売機でジュースを買ってきてと言われ小学校2年生の時に近くの自販機に買いに行った。その時商品がなかったため仕方なく他の商品を買いに行ったらまたスイッチが入った。
役立たず、早く首吊って死ねと怒鳴られ、私は勉強机に伏せたまま声を出さずに泣き続けた。その後何時間経っただろう。何も謝りもせずにご飯よ。と言い出した時何か私の中で壊れた気がした。

その他にも多々ある。兄弟の友達が来ている前でもイライラしたら私に怒鳴り散らす。成績が悪ければ殴り、足で蹴られる。
外見や性のことについて散々弄られ父親も笑っていたりした。もう書けないことはたくさんある。

◎          ◎ 

毎日は地獄だった。家は1番安心できる場所であって母親は1番安心できる人だということを最近外部の情報でやっと知った。
上京した後初めて実家に帰った後にフラッシュバックが続き早くアパートに帰りたいと夜中に両親を起こした。
親が怖かった。父は無干渉だった。

母が絶対的権力を握っていた。
中学三年生の時にテレビで「毒親」の特集があった。その時リビングで祖母も含めて一緒に食事をしていた。母は「こんな家庭あるの?」と笑いながら言った。私は箸が止まった。他の家族もみんな笑っていた。みんなが鬼のような化け物に見えた。手が震えて怒りが湧いてきた。
そのまま部屋に閉じこもって泣いた。

母との確執は今もある。最近になりやっと私が意見したことを受け入れてくれるようになった。そして素直に謝るようになった。母の過去のこともここ数年でたくさん聞いた。私以上に壮絶だった。だから私はこれ以上ここで母を追い詰めることはできない。しかし過去は戻らない。何事でもそうだ。

◎          ◎ 

私は母親にはなれない。美しいドラマのような家庭環境を見て育っていないし自分の遺伝子が入った子供を残したくない。その子供はずっとトラウマと私の負の遺伝子を残しながらこの先人生100年と言われている時代を生きていかなければいけない。そんなこと子供に背負わせられない。

私は自分がこれからどう生きるべきかをこの歳でやっと見出せた気がした。まだそんな気がしただけだからただの空想かもしれない。

母は自分の地獄のような環境から抜け出しいい家庭を持ちたいと努力していた。その努力の方向が間違っていただけだ。許せるようなことはないとは思うが私はあまり気にしないように、考えないように最近はそのような思考で暮らしている。

母と子供は美しく人生を歩むものだと思えなかったことは感謝している。自分が負の遺伝子を断ち切ることを教えてくれたから。この地獄から飛び出せるなら子供を作らないのは当たり前の選択肢だった。

大好きで大嫌いなお母さん。この世に産んでくれてありがとうとは言えないけどあなたは十分過ぎるほど頑張ってくれました。私は孫を見せられないけどあなたのためでもあります。申し訳ありません。これが私の選択です。