私は、誕生日になると、親に対してなぜ産んだのかと不思議に思う。

親の老後のお世話をするために産んだのか、

子供が好きだから産んだのか、

日本の労働力のために産んだのか。

なんのために自分という存在を生み出したのか気になるのだ。

歳を重ねるにつれ、親が1人で亡くなることが寂しいか、あるいは怖いから、子供を作ったのではないかと思うようになった。

なぜなら、私の父親が、結婚して子供を持たなければ老後1人で亡くなることになる、それは寂しいだろうという話をしてくれたからだ。

正直、こんな生きにくい世の中に子供を作るなんて、子供が可哀そうだと思う。

自分の子供に苦行をさせたいのかと子連れの人を見て、思ってしまうことさえある。

それか、子供の未来なんて深く考えずに産んでしまうのかなとも思う。

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今、幸せですかと問われて、はいと言う人はどのくらいいるのだろう。日本は鬱になる人が多い国である。そんな日本で産まれてくる子供達は、あまり幸せにはなれないのではないかと思う。

というのも、私自身が苦しい思いや辛い経験をしたときに、次世代を担う子供たちに同じような経験をさせたくないという強い思いが生まれたからだ。もし私がこれまで楽しい人生を送ってきたなら、そのような思いは抱かなかったかもしれないけれど。

子供もきっと楽しい思いをしてくれるという希望をもてない限り、私は子供を産むという選択をすることはできないと思う。

日本での生活は住み心地が悪いと感じる時がある。特に働いている時に、私は生きづらさを感じている。男尊女卑は、昔に比べればマシになったとはいえ、未だに根強く残っているように感じるし、いじめや自然災害が多いのも事実である。

残念ながら、伝統と呼ばれる古いしきたりが多く、古い考え方が根強く残り、変化に対する抵抗が強いように感じる。

◎          ◎ 

お祝いの日に、私は、なんてネガティブなことを考えているのだろう。

誕生日に、私は孤独を感じ、自分がどれほどちっぽけな存在なのかを痛感する。本来ならおめでたいはずの誕生日が、歳を重ねるごとにますます嫌な気持ちにさせられる歳をとりたくないと思うのは、これ以上、歳月を重ねることが自分にとって魅力的ではないからだ。

それに、なぜ自分が生まれてきたのかという問いには答えが見つからず、それが私の心を不安にさせる。

私は、他人の誕生日に対しても、簡単におめでとうとは言えなくなった。その人が、生きることに苦痛を感じていたら、おめでとうという言葉は全くおめでたくないと思うからだ。
赤ちゃんが産まれると、おめでとうと祝福するが、産まれた瞬間から人間は地獄に落ちるように感じる。苦しみも悲しみも一通り経験するからだ。地獄の先に、少しでも幸せを感じられるような人間に育ってほしいから、私は赤ちゃんをみるたびに頑張れとエールを送るようにしている。

そして、そんな風に頑張れとエールを送らなくても、安心して育っていけるような社会になることを願っている。地球温暖化とか戦争とか未来に残してはいけないことを私達は消していかないといけないと思う。

私のように誕生日に、なぜ生まれたのかと不思議に思う人がいなくなるようなそんな未来になってほしい。