「〇〇ちゃん(憧れの人)に会いに行くのが怖いんだよね」
私はつい、母に不安な気持ちをぽろりとこぼした。
この私にとっての憧れの人というのは、多くの人にとっての推しという存在なのかもしれない。けれども推しという言葉は、自分の中でどうもしっくりこなくて、憧れの人や尊敬している人といっている。
この憧れの彼女は、昔モデルをしていたが、アイドルでもなければ、俳優でもない。現在は自身のスキンケアブランドを立ち上げていて、愛と優しさにあふれ、等身大で居続ける1人の女性だ。そして彼女の紡ぐ言葉は人を癒す力がある。
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大学生の時に彼女のファンになり、彼女との関係は10年近くになるのだが、イベントがあれば遠方でも足を運んだ。彼女はいつしか私の存在をしっかりと認識してくれるようになった。優しい声で名前を呼んでくれようものなら、もうとろけてしまうほどだった。
これは彼女という人だからこそできることなのだと心底思うのだが、彼女が主催のコミュニティでは、一緒に旅行に行く企画があって、それに参加させてもらったし、彼女のスキンケアブランドのイベントスタッフ募集があって、お手伝いをしたこともある。その度にたくさんの幸せをもらい、すばらしい経験をさせてもらった。彼女との関係が深まらない理由は何もなかった。
けれどもちょっとしたことがきっかけで、この1年ほど前から彼女との距離を感じてしまい、寂しさを覚えるようになった。彼女は変わってしまったと。
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約1年ぶりに彼女に会えることになった。けれども心から喜べない自分がいた。会いたいのだけど、前と同じような気持ちで会えない気がしていたからだ。気持ちの変化や心の機微は、きっと相手に伝わってしまうだろうという恐れがあった。
「変化してもいいんじゃない。〇〇ちゃんもあなたも変化して当然。でも根っこの部分は変わっていないでしょ。〇〇ちゃんからたくさんもらっていると思うのよ。またここから再スタートだと思って、新たな気持ちで会いに行ったらいいんじゃない」
母はそう言葉をかけてくれた。
たくさん彼女からもらっているのに、感謝の気持ちすら持てないの?そんな気持ちで会いに行くならやめなさいと言われてもおかしくなかったのに。
ましてや彼女は憧れの人なのだ。私は自分の傲慢さに恥ずかしくなった。彼女はいつも自分の言葉でありのままを語ってくれた。その裏にはいつもファンへの想いがあった。そんなことも私は忘れてしまうところだったのかと。自分を見つめ直すことができた。
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母はどんな些細なことでも話を聴いてくれ、私のことを否定しないでいてくれた。だから私は自分の情けなさや負の感情を素直に認め、プラスのエネルギーに変えることができているのかもしれない。と気づいた。
もちろん母はダメなことはダメだと叱ってくれる。時には何でそんな風に言われないといけないの?と母に反発心を覚えたこともある。でも否定されたと感じたことはなかった。
ついに彼女と会う日がやってきた。
私は感謝の気持ちとともに、再会を心から喜ぶことができた。彼女の「久しぶり!」の温かく優しい声に、懐かしさを感じながら。
人との関係性というのは、常に同じでなくていい。そう思えた。私たちを取り巻く環境も状況も、毎日少しずつ変わっていく。それにともない、私たち自身も変わる。
相手も自分も変わっていくこと。それを自然と受け入れることができたら。変わることに負い目を感じることなく、変わることを互いに歓迎できたなら。そうしたら、またいつでも新たな関係をはじめることができるのではないだろうか。
私はいつも母に取るに足りないことを話す。他愛もない些細なことに耳を傾けてくれるということが、これほどまでに安らぎをくれ、私の背中をそっと押してくれていたのだ。