私の母は美しくて強い女性だ。綺麗な二重まぶた、手を加えなくてもカールしているまつ毛、前向きな考え方、どんな状況でも自分を曲げない気骨。そのどれもが、私の持っていないもの。

幼少期の私にとって、持っていないものは即ち「弱さ」だった。母に有って私に無いものを見つける度に彼女を羨んでは自己憐憫し、遺伝子を継いでいても別の人間なのだと、母を遠く感じた。だけどいまなら、彼女にも「弱さ」があったことが理解できる。

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母は私が小学2年生に上がる頃までシングルマザーだった。あの頃の母は、社会的な強さを持っていなかった。子どもを一人で育てる孤独や金銭的な不安定さといった心許ない境遇は、彼女を常に圧迫していただろう。しかし私にそれを感じさせることはほとんどなかった。母が世界のすべてだった私の目には、彼女に足りないものなどなかったように見えた。

2人で住んでいた古い団地の小さな一室が、大きなお城のように感じることもあった。彼女は私の気づかないところで、自身にないものと向き合っていた。ときどき激高して私を殴ることがあったのは、余裕のない生活が起因した彼女の「弱さ」だったのだと思う。

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小学2年生のときに母が再婚し、私たちは一気に豊かになった。妹が生まれて、大きな一軒家に引っ越して、犬を3匹も飼った。母はヨガやゴルフを嗜むようになり、いつの間にか私に暴力を振るわなくなった。生活が華やかになって母が私に割く時間が減ると、私はなぜか、彼女に見放されるのではと怯えるようになった。

自分が母にとって邪魔な存在になってしまうという強迫観念に取り憑かれ、母を引き留めたい一心で学業に力を入れた。成績が上がるとなんとなく強くなったような気持になって、今度は私を殴っていた母を恨むようになり、酷く反抗した。

自室にこもりがちになっていた高校生の頃、リビングから父と母の言い争いが聞こえてきた。私はいつもの悪い癖でドアの隙間から口論を盗み聞きしていた。父が母に向かって「稼げないんだから文句言うな」と叫んだきり出ていき、一人になった母はすすり泣いていた。

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いつもなら知らない振りをするけれど、珍しく泣いている母を放ってはおけず声を掛けに行った。彼女は私に気づいて、「お前はたくさん勉強して良い仕事に就いて、男に頼らず生きていきなさい。お母さんみたいになるんじゃないよ」と無理に笑った。

その言葉で私はすっかり心を折られてしまった。私にないものすべてを持っていると思っていた大好きな母が自分自身を否定したことも、彼女を侮辱した父のことも、ほんの少しの勉強で何かをわかった気になり自己中心的に母を憎んだ自分のことも許せずぐちゃぐちゃになった。

母の、彼女自身と私の幸せのための努力が、全く報われていない気がして虚しかった。でも当時の私には優しい言葉を返す強さがなくて、「私なんていない方が、お母さんは幸せだったかもしれないね」と、ずっと私の体内で渦巻いていたものを吐いてしまった。

そのときに久しぶりに殴られた右頬は、人生で一番酷く痛んだ。数時間後には赤みも引いたけれど、あのときのビリビリとした痛みは今でも体と心に刻まれている。無いものばかりに目がいくところこそが私の「弱さ」だと、そのときに初めて気がついた。

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「母である」ということ、「母の子である」ということは、ときに誇りであり、ときに呪いにもなる。母という呪縛は彼女を追い詰めていただろうし、子という呪縛は私の心を打ちのめしていた。大学生になってあの頃より何倍も世界が見えるようになったいま、私はやっと「母」というフィルターをかけず、一人の女性として彼女を見られるようになった。

互いの「弱さ」とその加害性を知ってから、彼女は私にとって母でもあり、親友のようにも思える。私のような手のかかる子を根気強く育て、仕事や夫の愚痴を吐きながらも楽しげに生きている彼女はやはり、美しくて強い。