私はまだ誰の母親でもない。
そして26歳という年齢になり、もうすぐ母が私を産んだ年になる。周りに母になる人が増えたのもあって、必然的に自分が母になる未来を想像できるようになった。その中で考えるのは、母親という存在が常に自分の人生の中で重要であり、大事な場面で必要な言葉をかけてくれていたことだ。
学生時代、部活や学校生活でとにかく自信がなく、積極的になれない私に「とりあえず、何でも一生懸命やってみなさい」と声をかけてくれたこと。転職活動をしていた時、自分の進む道に悩んでいたころ、「自分を安売りするのはやめなさい」と私の価価を認めてくれたこと。そのどれもが、わたしの人生の分岐点であり、今後の私を形作る上で重要なものになった。
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いろんな言葉をかけてくれた母だけれど、普段はあまり悩みを話したり、真面目なコミュニケーションを取ることはなかった。だけど、悩んでいる私の背中を押してくれるのはいつも母であった。そしてその言葉は魔法のように、私を私が望む道に導いてくれたのだ。
一方で、母の言葉にはどこか魔力を感じることもあった。その魔力とは、まるで私もそうしたいと思ってしまうような、呪縛のような強力な魔力だ。もちろん母はそんな気はなかっただろう。
でも、母のアドバイスや言葉はいつも選択肢の上位にあった。そのような強い母の気を感じながらも、私はあまり母の言う通りにしてきた人生でもなかったのがオチではある。そしてそれが多感な頃の私なりの反抗であり、ただ単にそこが母に似ているなと今では思う。
私は自分の"これだ"という意見を持っていて、その考えを曲げることはほとんどない。その中でも、全て自分の思い通りにはいかず、いろんな考え方の人がいて、その中で社会を生き抜いて行かなければいけないと教えてくれたのも母であった。
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そんな私も年を重ねて、自分を俯瞰して見ることを知り、母の気持ちも分かるようになってきた。
人生を振り返ると、引っ込み思案だった幼少期。自我がめばえて自分の芯が強く作られた10代前半。自分のやりたいことは必ず実現させたい!と情熱が煮えたぎっていた10代後半。
自分の芯にある性格こそ変わらないが、確実に外の世界に触れる自分の外側部分(のちにそれは八方美人だと自覚する)は強くなり、変わっていったのだった。
そんな私も、今は転職を経て教育業界で働き、周りを引っ張る働き手になっている。リーダーなんて向かない、自分はその道の人間ではないと思っていたが、1つの物事にこだわる頑固さ。自分のやる事に責任を持つこと。周りをよく見て行動し、先を見る洞察力。隠れていた力は、常に私の背中を押してくれていた母によって表に出てきたと感じている。
まさに母は私のメンターである。自分の行動や言葉によって子に影響を与える。偉大で頑固だけど人一倍愛のある母である。この先も健康で幸せな人生を。愛する母へ愛を込めて。