大学3年、春。私は就職活動が大嫌いだった。
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同じスーツ、同じ髪色、同じ髪型。短く切りそろえた爪、窮屈なヒール、重たい鞄。大人の言われた通りに都合良く姿形を変え、大人が好きな学生になりすます就活生が滑稽で、気持ち悪くて仕方なかった。自分の都合を悪びれもせず押し付けてくる大人も、それに疑うことなく従う学生もみんな大嫌いで、鼻で笑い、軽蔑していた。そしてその軽蔑の対象には、自分も含まれていた。
皆に習って、それらしい企業にエントリーし、書類選考に通った会社には面接に行った。エントリーシートではそれらしい言い回しで自分と未来を語り、面接ではそれらしい台詞で受け答えした。グループワークをやらされた時は、会話の中に当たり障りない発言を時々挟んだ。
就活生のうちにいわゆる「お祈りメール」と呼ばれる不採用通知を、20通ほど受け取った。「今後の活躍をお祈り申し上げます」といった決まり文句で締め括られることから名付けられたお祈りメール。
その上辺だけの優しさから綴られる無責任な祈りに、何度落胆し、何度世界に、そして自分自身に絶望したかわからない。一回祈られるごとに自分が削られ小さくなっていく。そのうち消えてなくなってしまうのではと思うほどに。
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ある日、私はとある企業からお祈りメールを受け取った。文末の定型文に到達する前の文章を、私は一生忘れないだろう。
「適正検査の結果を見る限り、あなたは社交性が著しく低い。もっとまわりと積極的にコミュニケーションを取らないとどこにも受からない」
ご丁寧に採用担当からそんな助言が書かれていた。助言。優しさ。おせっかい。余計なお世話。私にとってその優しさは凶器だった。ナイフであり、鈍器だった。人格そのものを否定された気がした。消えてなくなりたかった。
自分のコミュニケーション能力に問題があることなんて自分が一番よくわかっている。できないから困ってるんだろ。だから誰からも必要とされずに彷徨っているんじゃないか。わかりきった事実を、正論を、良かれと思って正面から投げつけてくる大人から身を守るため、私はさらに内に内に入り込んだ。そのお祈りメールは読んですぐ削除した。メールは消えても、精神をえぐられた傷は消えなかった。
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面接官にちょっといい感じのことを言われても期待しないようにした。そういう時は落とされるとわかったから。自由記述式の筆記テストは枠の半分も埋めずに、誰よりも早く会場を後にした。どうせ無理だとわかったから。何もかも信じられないし全部大嫌いだった。
そんなこんなで結局私はどこからも内定をもらえず、宙ぶらりんのまま大学を卒業した。新卒を逃した。敷かれたレールは途切れた。脱線した人生が始まった。
数年後、派遣社員として働いていた会社で新卒採用試験が行われ、私は適正検査の採点を手伝うようになった。採用担当は、その日採用試験を受けた学生のうちの一人の結果が芳しくないことを気にしていた。
適正検査の結果、性格が暗いという判定が出たようだった。私はそこで初めて、適正検査に個人の性格を判定する項目があったこと、自分が今まで数々の試験で根暗判定を叩き出し、その結果が不採用に繋がっていたかもしれないことを知ることになった。
もちろん不採用の理由はそれだけではないとは思うが、そりゃあ、根暗より明るく活発な人と仕事したいよな。就活を終えてから数年経ったその日、また私の一部が削り取られた。
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mbtiという最近流行りの性格診断がある。その診断は的確であると私には感じられると同時に、自分と同じような人間が世の中にいること、その人達も同じような感覚を持っていて、同じような生きづらさを抱えていることを知るきっかけになった。就活の時は大嫌いだった性格診断が、今は自分の自信や安心に繋がるツールとなっている。
人の性格には外向型と内向型の2種類があり、そのどちらにも強みと弱みがある。しかし、就活に、人間関係の構築や円滑なコミュニケーションに有利なのは、圧倒的に外向型の人間だ。私の経験上これは紛れもない事実で、どう足掻いても変わらない。いつだって内向型は外向型に勝てない。
でも、私は今正社員として会社に属し、毎日働き、社会に属している。新卒で採用されたことはないし同期はいないが、なんだかんだそれなりにうまくやっている。
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私みたいな人間でも、社会で案外生きていける。大手有名企業に就職してバリバリ働いてガッツリ稼いでキャリアを積んで…なんて大それたことを望まなければ、案外なんとかなるのだと今は思う。逆に言うと、それができなければ死ぬ、人生が終わる、なんてことは絶対にないということだ。そんな単純なことに、渦中にいると気付けないものなのだ。
街でリクルートスーツの学生を見かける度、今はしんどいかもしれないけど、きっと大丈夫だよと心の中で声をかける。かつての自分みたいに思い悩み、すべてに牙をむく必要はないと伝えたい。
一人ひとり違う人間であるということは、合う場所は人それぞれ違う。ということは、誰しもが違う道筋を辿って違う場所に行き着くのは当たり前だということ。ひとりひとりに適した居場所がきっとあるはず。時間はかかったがそう思えるようになった、大人も案外悪くないぜ。
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