透明なグラスに敷き詰められた黒いクッキー、白いバニラアイスには長細いチョコレート菓子が刺さっている。ショットグラスに入れられたエスプレッソを注げば、アフォガードが完成する。
私が高校生になるまで、つまりは手がかからなくなり家に帰るのが遅くなるまで、母は近所のファミリーレストランでパートとして働いていた。基本的には開店から夕方まで、時には夜勤で家族の夕食を作った後家を出て行くこともあった。母が夜勤の時、玄関まで付いて行く幼い私は、心細い顔を隠そうともせず、「行ってきます」と言う母を見送っていた。
母がパートとして働いているため、その店で食事をすると社員割引が使えた。父と二人だけの昼食や親戚の集まり、さらには部活終わりの友達との溜まり場として、私はよく母が働くファミレスを利用し、社員割引を使わせてもらっていた。
そして、そんな時私が必ず頼んでいたのが「アフォガード」だった。
◎ ◎
初めて注文した時、それはきっと憧れからだった。
私の母はコーヒーが好きで、家にはインスタントコーヒーだけではなく、ドリップ用の挽いた豆、コーヒーメーカーがあった。姉もよく母のついででコーヒーを淹れてもらい、カフェオレにして飲んでいた。幼い私は二人の真似をしたくて一口もらったが、飲めたものではなく、しかめっつらをした私を見て「シャチには早かったかな」と笑われた。
オレンジジュースや炭酸のほうがどれだけ美味しいか、と好んでコーヒーを飲む母を不思議に思った。と同時に、母と姉の二人だけが、私だけが理解できない味を共有していて、仲間外れにされたようで悔しかった。
そんな時、アフォガードに出会った。
家族で夕食を食べに行き、姉とデザートメニューを開いていると、ふと、目に止まった。
大きなパフェやケーキが並んだメニューの中で、アフォガードと書かれたそれは隅の方にポツンと載っている。見たことも聞いたこともないデザートだった。
「これ、何?」
「コーヒーをアイスにかけるの。シャチには苦いかもね」
「これにする!」
コーヒー、と聞いたとき、迷わず注文することを決めた。
母は怪訝そうな顔をした。
「えぇ?苦いよ?」
「これにする」
「じゃあママが頼むから一口あげよっか」
「うん」
◎ ◎
数分後、私の前にはチーズケーキ、母の前にはアフォガードが届けられた。
どこからどう見てもただのバニラアイスだったが、グラスの脇には黒い液体が入ったショットグラスが添えられていた。
「これをかけるの」
「やる!」
アイスの真上でショットグラスを傾ける。白いアイスに薄茶色の膜がかかっていく。嗅ぎ慣れたコーヒーの匂いがした。
「はい」
母がアイスの乗ったスプーンを差し出した。私は初めてのデザートにドキドキしながら口を開けた。
美味しかった。
甘いバニラアイスと苦いコーヒーが口の中でカフェオレになる。ただ正直に言うと、「普通のバニラアイスでもいいな」とも思った。わざわざアフォガードにせずとも、ただのバニラアイスで十分美味しい。
でも母と姉だけが共有しているコーヒーの味を私でも楽しめる。
そのことが私には大事だった。
それから私は母のファミレスに行くたびにアフォガードを注文するようになった。味にも慣れ、純粋に美味しいと思うようになった。コーヒーが足りず、ドリンクバーのコーヒーを注ぐこともあった。
仲間外れの悔しさから頼んでいたアフォガードは、私の大好きなデザートになった。
◎ ◎
母がパートを辞めて数年後、家族でファミレスを訪れた。看板やメニュー表がリニューアルされていた。デザートメニューを広げると、そこには見慣れたアフォガードが載っていなかった。メニューから削除されてしまったのだ。
何となく寂しい気持ちで、バニラアイスを注文しドリンクバーのコーヒーをかけて食べた。
敷き詰められたクッキーも、刺さったチョコレート菓子もない即席のアフォガードは美味しかったけれど何だかもの足りなかった。
こうやって時代は変わって行くのか、とお年寄りのようなことを思った。
昨年、仕事終わりに同僚と久しぶりにファミレスに行った。リニューアルされた時からさらにリニューアルされ、看板もメニューもまた新しくなっていた。
食事を終え、デザートメニューを開く。どのパフェにしようかな、と悩んでいると、あるはずのない、けれど見慣れた文字が目に入った。
アフォガードが、相変わらず隅の方に小さく載っていた。
私は迷わず注文した。このファミレスのデザートはアフォガード、という習慣だからだ。
刺さっていたチョコレート菓子はなくなっていたけれど、敷き詰められた黒いクッキーやショットグラスに入ったエスプレッソは変わっていなかった。
そして変わらず美味しかった。
アフォガードを置いているカフェは意外と少ない。
だから、見かけるとつい注文してしまう。
今では私もコーヒーが好きになり、ブラックで飲むことなんて当たり前だけど、アフォガードを食べるたびに背伸びしようとしていた幼い私を思い出して、少し面白くなる。