「あんたは、コウモリみたいな子じゃ!」

小学校1年生の私に対して、祖母は鳥にも獣にも見える、翼を持つ哺乳類の話を持ち出し、こう言い放った。当時の私は、母の前では父の悪口を、父の前では母の悪口を言うのが日課。今、そこにいない人の話をしてさえおけば、目の前の人の機嫌がよくなる……。私は、ひらがなや時計の読み方を学ぶよりもずっと前に、そのことを肌で覚えてしまった。不仲な両親の間に生まれた長女の私が身につけた、生きるための知恵。なぜ、それを非難されなければならないのか。42歳になった今、理屈ではわかるものの、やはり感覚的には腑に落ちない。

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昭和30年生まれの母は27歳で結婚して以来、働いたこともなければ、友達とランチに行ったり、家族以外の人と誰かと喫茶店に入ったことさえもない。毎日、判で押したように朝4時に起きて、庭と家の両方の掃除をする。その後、洗濯、食事の支度など家事全般に追われてきた。当然、化粧や髪を整えるなどの身だしなみは最低限になってしまう。

学生時代は「きれいなお母さん。さやかちゃんはお父さん似?」と周囲に言われていた。が、現在は少しでも似ている呼ばわりをされると、パニックに陥る。
筋肉の少ない猫背体型。ほうれい線やブルドッグラインのくっきりとした顔。ツヤのない髪。どこをとっても「ああいうふうに年を重ねたい」と感じる要素が皆無だから。
そして何よりも、家族以外とほとんど誰とも関わらない生活が約40年続いている。そのため、表情が乏しく、口を開けば相手の話に耳を傾けず、自分がいかに大変か、どれだけ家族のために犠牲になった人生なのかを、ところかまわず喋り散らす。

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その上、家中に木製のチープなカントリードールや、ぬいぐるみ、100円ショップで売られているような造花や瓶を並べている。トイレットペーパーやタオルなどがストックルームいっぱいにあふれかえっているのに、安売りになるとさらに買い込んで来なければ気が済まない。「洗濯洗剤、6箱あったけど」などと、家族が少しでも口を挟むと、むきになり言い返してくる。だから、私自身余程むしゃくしゃした時以外は、見ても見ぬふりをしている。

私の暮らす地域は、自転車で行ける範囲に、スーパーマーケットやコンビニエンスストアがない。車がないと、いわゆる買い物難民に近い状況だ。私も母も教習所に通ったものの運転免許は取得できなかった。食料品の買い出しは父の現役時代から現在まで、週に1度、市街に通いまとめ買いをする。父は代替案を持ち出すが、環境の変化が苦手な母は、蟻のように耳を貸さない。モノが増えるのには増えるなりの理由がある。
どこまでも母は、手と気を抜くのが下手なのだ。よってどんどん人生が狭くなっていく。

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しかし、私も社会人になり、持ち前の不器用さが災いして、幾度となく解雇されてきた。転職をするたびに収入は右肩下がりに落ちていき、ついに9年前に社会保険を打ち切られた。さらに今年10月からは年金改正法施行により、雇用保険さえも抜けなくてはならなくなった。

物心がついた時から私は、強く思ってきた。「専業主婦だけはイヤ!」と。そして、結婚して子どもさえ産まなければ主婦になることはないと信じてきた。確かに私は独身だ。が、年金を納め、仕事に必要なストッキングや白シャツを購入すると、手元に残るお金は本当に乏しい。すでにおしゃれをする予算も体力も残っていない。さらに雇用保険に入れなくなることが分かった時に私は心底こう思った。「扶養に入りたい。第三号保険者になりたい」

あれだけ毛嫌いした母の人となりと人生だが、それでも氷河期世代の負け組の私よりもずっとマシなのは悪い冗談なのだろうか。