わたしと父親は似ている。
わたしは10歳のときに父親と離れることになった。
両親が離婚したからだ。
離婚について誰を責めるでもないし、総合的にみると、離婚は絶対に避けられないことで、わたしたち家族にとって重要な変化だった。

それから15年ほどたって気づく。わたしと父親は似ていると。
そして、わたしは父親の存在を求めていたのだと。

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今思うと、父親のことは考えないようにしていた。
離婚前は毎日怒ったり泣いたりしていた母、離婚後は魂が抜けたように無気力だった母、立ち直って本来の自分を取り戻した母。
父親がいなくなりシングル家庭となった我が家は、母がすべてだった。家計を支えるのも、家の決まりを作るのも、褒めるのも、怒るのも、すべて母だった。
わたしは、母に怒られないよう、母に褒められるよう、母を少しでも支えられるように生きた。嫌々そうしていたわけではない。わたしは母のことが好きで、仲良しな親子だった。「わたしたちは2人とも長女だから似ている」母はわたしのことをそう言った。

20代も中盤に差し掛かった頃、わたしは遅ればせながら反抗期に入った。というか、人生に迷走し、自分のことを考え直した結果、母と全く気が合わなくなった。
なぜそれまで仲良くできていたのかわからないほど、母の言うことやることすべて嫌悪した。
そして気づく、わたしは母が別れた父に似ている。

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父は感情をあまり出さない人だった。よく言えば落ち着いているし、悪く言えば「何を考えているのかわからない」。そんな父の感情をみせないところを母は嫌った。
父は色々なことを概ね器用にこなした。その代わり何かを突き詰めてやることはなかった。母は「器用貧乏だ」と言った。
父は頭が良かった。母は「偉そうに」と言った。

わたしは感情をあまり出さない。その方がスマートでかっこいいと思うし、他人を振り回さないための気遣いでもあり、他人に振り回されないための防衛でもある。
わたしは色々なことを概ね器用にこなす。勉強でみんなより劣ることはなかったし、運動も音楽も絵も、そこそこ形にできる。色々なことに手を出し、そこそこのレベルに到達したらやめる。飽き性なのだ。
わたしはたぶん頭が良い。少なくとも学歴で恥ずかしい思いをすることはなかった。

何も不思議なことはない。わたしの遺伝子の半分は父親のものだ。
性格がまるっきり似てなくて、よく考えると気が合わない両親が出会って結婚して生まれた結果だ。

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父とはもうずいぶん会っていない。今後会う予定もないから、このまま一生会えないのかもしれない。
人生そんなものだ、と思うも、たまに、本当にたまに、とてつもなく会いたくなるときがある。
感情を出さない父がにこにこと頭をなでてくれたあの頃。器用な父が教えてくれた数々の遊び。頭が良い父と一緒に勉強したあの時間。
どれもわたしにとって輝かしい想い出だ。

もうすぐわたしは結婚式を挙げる。そこに父の姿はない。
新しい家族と過ごす今、どうかこの想いが、風に乗って運ばれればと思う。