二重整形をした。中学2年生の冬に。整形をした理由は同級生に容姿をからかわれた経験や日々のアイプチのせいで皮膚がただれて目の開きが悪くなったからだった。

毎朝地獄のように苦しみながら自分の顔と向き合った3時間はたった数十分の手術でいとも簡単に消え去った。「ああこれで良かった、これで全てから解放される」手術後のパンパンに腫れ上がった瞼を見つめながら車の後部座席で私は安心感に満ちていた。

手術から数日後。ダウンタイムが終わり学校へ久しぶりに登校する日がきた。不登校気味で友達も少なくなっていた私は重い前髪に黒いマスクをして足元を見つめながら自信なさげに教室へ向かった。

しばらく自分の席に座っていると、私の存在に気付いた数人の女の子が話しかけてくれた。その内の1人が「𓏸𓏸ちゃん雰囲気変わった?なんか前より可愛くなった気がする」と私を見つめながら言った。そしてその場にいた他の女の子も彼女の意見に同調するかのように「可愛い」と私を褒め称えてくれた。

「…ありがとう」そう発した私の頭の中は久しぶりに向けられた"可愛い"という言葉でいっぱいだった。

◎          ◎ 

そこからしばらくして同級生の男の子に告白される機会も増え、可愛い女の子の友達も出来た。しまいには、散々私の容姿を馬鹿にした男の子から「あの時はごめん、今はすごく可愛いよ」とメッセージがきた。

勿論、メイクの影響もあるが整形をしなければ手に入れられなかった未来がそこにはあった。とても幸せなはずだった。しかし、私の心は以前よりも空っぽになっていた。

誰も見向きしない、男の子には他の可愛い女の子と比べられる、ファッションやメイクが大好きなキラキラした女の子達には陰で悪口を言われる…容姿によって苦しめられた悩みが、目に1本線ができて簡単なアイメイクをしてしまえば消え去ってしまうという事実が馬鹿馬鹿しかった。

そして馬鹿馬鹿しいと思っても、それにすがっている自分に嫌悪感を覚えた。目が腫れて自信がさそうに俯く私も目に線ができて自信ありげに話す私も中身は何一つ変わってないのに…なのに少し容姿が変わってしまえば見える世界が、周りの対応が全然違う。整形をきっかけに容姿が周りに与える影響を知ってしまった私は異常なほどに容姿に執着する人間になっていった。

◎          ◎ 

教室にいると聞こえてくる容姿の話題、スマホをスクロールすればいいねが沢山ついている可愛い女の子。"二重が…骨格が…パーソナルカラーが…"
私の日常は私の心を侵食する何かであふれている。インターネットの発達もあって小学生でもスマホを持っているのが当たり前になりつつある時代。動画アプリを開けば、スクロールする度に可愛い女の子であふれている。まるで戦場のように。

可愛い女の子はいいねが集まりやすく注目されやすい。コメントを開けばどうすれば彼女の容姿に近付けるのかという質問や彼女の容姿と自分の容姿を比較して卑下するものばかり。容姿を追求しすぎると、摂食障害や身体醜形障害など様々な病気を引き起こすリスクが高まってくる。

しかしそれほど多大な犠牲を払っても今の時代の女の子はもはや病的といっていいほどに理想の容姿を追い求めているように思える。私と同じような女の子は山ほどいる。ありふれている。

容姿に執着し始めてしばらく経った頃、突然私はもうこれ以上は無理だと思うようになった。心も体もボロボロで目に見えるものだけに価値を求める自分がとても空っぽに思えた。

少し可愛くなれたって上には上がいる。戦いは常にそこにある。負けたら簡単に切り落とされる。もう戦えない。

しかし、大勢が美しい容姿を求め戦うこのレールから抜け出した自分にはもう価値が無いのではないかと思う気持ちもあり不安と孤独の波が押し寄せた。ただ、このまま一生終わりのない容姿を追い求めて戦っても幸せにはなれないし自分が壊れていくことは紛れもない事実だとも思った。

◎          ◎ 

容姿の美しさを追求して戦うのではなく容姿の美しさを強く求めるこの社会と戦いたい。社会の美の定義に当てはまっていなくても、ありのままの美しさとして自分を認めたい。

流されてしまうこともあるがそれはそれでいい。「誰にどう思われるか」よりも「自分が好きかどうか」を選択できるように日々心がける。

この空虚な社会と戦うために1歩進んでみようと思う。

そして、絶対的な美は存在しないことを心に誓って生きようと思う。

だってきっと私と同じように容姿で苦しんでいる女の子を見かけたら、社会の美に従って変わろうとする彼女よりも自分らしく好きなメイクやファッションを心から楽しんでいる彼女の方が魅力的に思えるはずだから。