私はこの世の食べ物で湯葉が一番好きなのだが、その他には煮物が好きだったりする。
和食ならやっぱり肉じゃが、もつ煮込み、いかと里芋の煮物、筑前煮、土佐煮、洋食ならロールキャベツ。

じっくり火の通った野菜がとろける感じ、たまらない。
焼く、ゆでるではこうはいかない。
煮る、とは実に面白く、そして美味しい調理法だとつくづく思う。

◎          ◎ 

そんな私が中でも好きで、そして複雑な思いを抱えている食べ物がある。
それが、ラタトゥイユなのだ。

ある日母が凝り始めてから知った料理。
フランスの煮物で、トマトソースにパプリカやズッキーニといった野菜をゴロリといれた料理。

味はもちろん美味しいし、さらにヘルシーで罪悪感も少なくいっぱい食べられる。
作りたてのあったかい状態はもちろん、夏場には冷静でさっぱり味わう。
しかし、そんな美味しい真っ赤な料理が食卓に並ぶのを見て、私はずんと沈んだ気持ちにもなるのだ。

ある日、一人暮らしをしていた私に冷蔵でラタトゥイユを母が送ってくれた。
当時はコロナ禍で、一週間に一度ぐらいしか外出はしていなかった。
週一の外出時にスーパーに行き、まとめ買いをする。
野菜も買うけれど、まとめ買いして日持ちがするものなんて限られている。
そんなときに来たラタトゥイユ。

私の身体は、不摂生な日々のせいでビタミンを欲していた。
しっかり冷蔵し、食べようと思っていた。
明日からの食卓を夢見て。

◎          ◎ 

この「今度」のために、私はラタトゥイユとは苦い思い出を作ることとなる。
それからすぐに、祖母の訃報の知らせが来た。
私は動転した。
明日朝の便で帰らなくては、ええっと期末のレポートは……?
母と電話しながら家にある荷物をまとめる。
おそらく、そのまま夏の間は帰らないだろう。
買った野菜はどうしよう?

冷凍は……?

このように動転していた私はまだ残っていたラタトゥイユを荷物に詰め空港に向かった。
途中どこかで食べられたら、という期待を抱いて。
しかし、動転した私がスプーン準備しているわけもなく、食欲もなく、ラタトゥイユをどうしようかと空港で頭を悩ますことになっていた。

◎          ◎ 

実家での様子を母に聞くついでに少しひんやりしたラタトゥイユの話をした。
ついでに、訃報を聞いていて、食欲がないことも。
作ってくれた母に相談するのが本当に心苦しかった。
空港でひとり大きな荷物を抱えて涙をにじませた私は、待合の中できっと奇妙に映ったことだろう。

ラタトゥイユを見るたびにあのドタバタとした時間、そしてラタトゥイユへの、農家、母への罪悪感におそわれる。

それでも、ラタトゥイユを食べる。
美味しい、大好きな料理だからだ。
野菜の苦味をもぐっと飲み込んで、赤い酸味が口内を満たす。
苦味にあの日の思い出を重ねていることを、母は知らない。