私の父親はどんな存在なんだろう。私はこのエッセイを書くにあたってよく父親について考えてみた。父は無口で背が高くて釣りが好きで、実はかなり優しかったりする。
今思えば反抗期はなかったと思うが、歳を重ねるごとに仲良くなれてるのかななんて考えている。

自慢ではないが、旅行をあんまりしたがらない父を連れて去年の冬は2人で熱海旅行に行った。プリクラも撮れたし、宿もいい感じだったし、海鮮丼もいちごソフトクリームも美味しかったし、プチ船旅もすごい楽しかった。

普段あまり2人で出かけなかったのもあって、どこに行くにも新鮮で楽しかった。

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昔はどうだっただろう、とはいえ父親のことを悪く思ったこともよく思ったこともなかった気がする。これがいいことなのか悪いことなのかわからないけど深く関わりすぎてトラブルが起きてもあれなので、良かったということにしておく。

小学生の頃学校で奉仕作業をしていた時に、父親が教室まで迎えに来てくれたことがある。その時は恥ずかしいと思ったけれど、なんせ父親の背が高かったので(うちの父ちゃん背高くてかっこいいだろ)ぐらい思っていた。
父親の職場で遊ばせてもらったことも何度かあるが、父親が自分や妹のことを自慢げに話しているとこっちまで誇らしくなってきたり、父親と遊んでいる自分が好きで父のことは嫌いだと思った記憶が無い。今考えるととても恵まれているんだろうなと思う。

つい最近留学先の友達と父親について話すことがあった。

“父がよくドアの上の所に頭をぶつけるけど無表情で歩いてるから不思議”とか、“最近かわかんないけどビール腹になってる”とか、“父のやんちゃエピソードらしき話が結構お気に入り”なんて話をしていた。

何より共感したのが“父が年々穏やかになってきている”ということだった。これが年取るってことなのかなーなんて言っていたがあながち間違いではないと思う。今年50代中盤ぐらいなので、もうおじいちゃんになる準備してるなーと感じる。

とはいえまだまだ年を感じて貰っては困るし、私にとってはいつまでもお父さんである。いくらをとろうが、私が小さい頃からお父さんはお父さんなのである。よく分からないがその感覚がなんだか嬉しく思える。

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道端で偶然見かけたおじさんだって、きっと誰かのお父さんなのかもしれないし、大事なものを守ってきた人なのかもしれない。そう思うとなんだか世界が暖かくなる気がする。
私が留学している国の人達は、まさに人類みな家族と思ってそうな人達だし、この国にいるからこそ考えることが出来たことなのかもしれない。
私の人生は誰かの支えがひとつなかっただけで、違う道を歩んでいたのかもしれないし、ひとつの選択を違くしただけで留学すらしてなかったのかもしれない。そう考えると人生は興味深く不可解である。

が、その中に父親がいてくれて良かったと感じている。言葉で導いてくれるのはもちろんありがたいし率直でわかりやすい。けれど、私の父親がそうだったように背中で示すタイプも必要なのかなと思う。

感じ取ること、真似ること、学ぶこと。これらはどれも社会で必要なことばかりではないか。言葉よりも態度の方が人間に及ぼす影響が大きいのだろう。その言葉通り、私は父親の真似をして生きてきた。行うことや進路は気づけば驚くほど母親と似ているのだが、外見と性格は父親にそっくりだ。私本体は父親を真似ていて、行動は母親を真似ているのか。とにかく人間というものは親のふりを見るからどうしても似てきてしまうのだろう。

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そして思うのが、私は父親似なので女版父みたいな感じなのだが、私の笑った顔が父の笑顔に酷似していることに気づいた。
こんなにも経歴や行動が違っているのに、変えられない芯の部分は父親に似ている。母は私のことを“心が通っている”と褒めてくれることがあるけど、実は父の真似だったなんて。
私は私の笑った顔が大好きだ。
私は父の笑った顔が大好きだ。
こんな小さなことだけど、なんて幸せなんだろう。