「おばあちゃんのハヤシライスは世界一」
物心がついたころから、おばあちゃんの家に遊びに行くたびに、言っていた言葉だった。
おばあちゃんは、私が遊びにくるたびにハヤシライスを作ってくれたし、私もおかわりをたくさんしてお腹がはち切れるまで食べた。
スーパーで売ってる市販のルーに、至って普通の作り方。普通の作り方からアレンジすることなく、特に何も変わらない。でも、私にとっては、世界一の、たった一つの、おばあちゃんにしか作れない味だ。不思議なことだ。
昔、同じルー、同じ方法で、母がハヤシライスを作ってくれたことがあった。しかし、おばあちゃんが作るものとは全く味が違った。やはりおばちゃんの作るハヤシライスは世界一なのだ。
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おばあちゃんは、当時にしては珍しく、地元から遠く離れた地で結婚した。
おばあちゃんは、父親(私に取っては曽祖父)を結核で亡くしていた。私の想像だが、結核を家族に出してしまい、地元では結婚しづらかったのではないだろうか。家柄はとても良かったが、結核はそれほどに影響力をもったのだろう。
また、おばあちゃんは、父親を亡くした後に、女性であることを理由に相続を許されなかったらしい。母親(私からは曽祖母)は、相続させてあげられなくてごめんと謝り続けていたと聞く。おばあちゃんはその時の悔しさをいまだに忘れることはなく、娘(私に取って母)が確実に相続できるように早くから動いていた。
おばあちゃんの母方の実家は、地元で名のある大企業の創業家だった。そのこともあり、父親が亡くなるまでは比較的裕福な暮らしをしていたと聞く。しかし、それにもかかわらず、遠く離れた地で、結婚をすることになった。
おばちゃんは、結婚後、なかなか子供を授かれなかったり、おじいちゃんが突然、起業をしたりと、金銭的にはかなり苦労をしたと母から聞いている。子供のための貯金を崩しながらの暮らしをしていたらしい。
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おばちゃんの娘である母は縁あって結婚でき、私が生まれた。私はおばあちゃん子だった。よくおばちゃんの家に遊びに行き、家に帰りたくない、と言ってゴネて、おばちゃんの家に泊まったりした。おばあちゃんはずっと、私に、おなかいっぱいご飯を食べさせてくれた。そして、ご飯を食べさせてくれる人と結婚しろ、と日頃から口酸っぱく言っていた。
おばあちゃんは、病気ひとつしない健康体だったが、最近ついに入院することになった。お見舞いに行ったら、おばあちゃんが体調を崩して泣いていたのが印象的だった。おばあちゃんが泣いて弱っているところを見たのは初めてだった。
なんで泣いてるの?と聞いたらこんな返答が来た。
「食べなくてもいいのに、病院で出された朝食を食べちゃうなんて、卑しい人間だな」
卑しい人間?そんな美しい日本語を使うおばあちゃんを初めて見た。
やはり名家出身で育ちがいいんだな、と改めて実感した瞬間だった。おばちゃんの歴史が脳内で一気に駆け巡った。
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戦前生まれの人は強い。おばあちゃんは、今では元気に回復し、遊びに行くたびに、昔と同じように私のためにハヤシライスを作ってくれる。幼い頃から作り続ける同じ味。私は昔と同じようにおかわりをする。やはり、おばあちゃんの味は世界一だ。
「私のこと忘れてない?」
認知症を心配して、私が冗談ぽく言うと、「一番大切な人を忘れたら終わりだな」とか細い声で言う。終わりだな、というちょっと訛った言葉遣いが可愛い。私はにっこり笑ってハヤシライスを一口食べる。
おばあちゃん長生きしてね。