父親にはやめてほしいことがある。店員タメ口で注文をすることだ。

私は、相手への敬意や感謝は大切にしたいと思っている人

コンビニで会計を済ませると、必ずありがとうございました、と声に出して伝えるようにしている。ちゃんと明るい声で言うように心がけている。とりあえず言っているだけだと思われないように、相手が不快に感じないように、話す言葉やトーンを考えて言葉を発しているのだ。

店で注文をするときもそう。必ず敬語で、はっきりと注文を伝えることにしている。

あまり意識はしていないかもしれないが、店員ははじめましての人がほとんど。知らない人にいきなりタメ口をきかれたら、少なくとも私は疑問を感じるだろう。不快すら感じるだろうと考えるので、私は必ず敬意を込めて敬語で話すようにしている。

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父は、おそらく年齢や関係性を知らぬ間に判断しているのかもしれない。

コンビニ店員やアルバイトの接客は父からすれば圧倒的に年下であり、自分の子どもよりも若いことも多い。「これちょうだい」や「〇〇お願い」など、接客してもらうときにタメ口を使うことが多いのだ。

確かに年下の店員のほうが多いかもしれない。しかし、接客してもらっている側であり、注文を取る、会計をするなどこちら側が何かをしてもらっている。そこに敬意を持ったことはないのか、と問いたいくらいに平気でタメ口を使う。

父はきっと、シチュエーションが当たり前過ぎて何も感じないのであろう。

ただ私にとっては違う。サービスを提供してもらっている側として、敬意を持たなければいけないと思う。ちゃんと敬語で、相手と丁寧に会話をすることが大切だと思っている。

家族や友人ではないのだから、何かをしてもらったときは丁寧にありがとうございました、と伝えることこそ当たり前なのではないだろうか。

父が度々タメ口をきいて接客してもらっている光景を見ると、反面教師のように思いがこみ上げてくる。いい加減やめてほしい。

しかし、悪いと思ってやっているわけではないので、伝えたところで改善するとは思えない。長年その価値観で生きてきた父へ、いまさら態度を変えろと伝えても、きっと喧嘩になるだけであろう。私もいい年齢だ。この年になってまで親子喧嘩をしたいとは思えない。

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子どものころから思っていた疑問。久しぶりに実家に帰ったときも変わっていなかった。

そりゃ変わるわけないよな、と私自身諦めている。想像してみても、親がこれから行動を改める可能性は限りなく0に近い。

もう何も期待せず、ただ自分のなかにある正しいと思うことを、自分がやり抜く決心を持つのが精一杯だ。私はが思う良いと思ったことを続けていくだけだ。

子どもの頃から、思ったことをすぐには言えない関係にある私たち親子。ギスギスはしていないものの、私の根底には、言ったところで変わらないという思いが存在する。今回のように、日常の些細なことであればなおさらだ。

これまでを振り返ってみても、行動を改めてもらうように言った記憶はない。きっとどこかに思いを溜め込んで、どこかで消化していたのだろう。

今後も直らないであろう父の態度。また実家へ帰れば嫌気が差すのだろう。感謝や尊敬の気持ちを持って店員と会話をしてほしいと毎回感じるのだ。大きなため息とともに、仕方ないと見て見ぬふりをするのであろう。

そして自分の価値観や行動を再確認して、ちゃんと伝えられることははっきりと相手に伝えようと思い直す。父との距離は今でも難しい。思春期真っ只中よりは近くなったかもしれないが、父と娘には何かしらの壁が存在している。互いが互いに気を使い、いいところも悪いところも流してみている、そんな関係だ。関係はこれ以上縮まることはないけれど、頑張って受け入れる努力をするきっかけになるかもしれない。