父親とは小学校4年生までを同じ屋根の下で過ごした。

離れてもしばらくは同じ街のなかに暮らしていたので、週末や学校の行事などで頻繁に顔を合わせていた。一緒に過ごす時は決まって自転車で公園巡りとレンタルしたDVDの映画鑑賞。妹とわたし、父親が観たい一本を選んで順番に見ていった。帰る時間が決まっていたので全てられないこともあった。

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中学校へ上がるころ父親は俳優の道へと進むため、都心へと引っ越した。わたしも電車に乗って学校へ通うようになり、部活や行事、友達との遊び時間が増えたことで思うように会えない日々が続いた。

わたしが空いている時、父親は稽古や舞台。父親が空いている時は、わたしが学校行事や母親との予定があるといったふうだ。高校に上がる頃にはお互いに気を使うようになり、定期的な連絡を取らなくなった。たまに、父親の舞台が決まった時に連絡が来て、鑑賞したのち夕飯を食べるといった会い方だった。

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わたしは産まれてから父親のことをお父さんと呼んだことがない。幼少期あまり耳が良くなかったこともあり、「お父さん」と呼べず別の呼称で呼んでいた。父親はその呼び名を気に入ってくれたが、わたしの前では自分のことを「お父さん」と呼び続けた。お父さんと呼べるようになっても父親の前では決まって幼少期の呼称で呼び続けたわたし。

結婚式で手紙を読む時には「お父さん」と呼ぼう。いつからかそんなふうに考えるようになった。
だから結婚式で書く手紙の出だしはこんな風だ。

ー拝啓お父さんー

お父さんと目の前で呼ぶのは初めてです。
一緒に住んだ時間は人よりも短かったかもしれない。でも、わたしのなかにはお父さんからもらったたくさんの愛があります。子供の頃、保育園の送迎の時間や電車に乗った時に、わたしのことをかわいいと褒めてくれる大人に対して、お父さんは決まって「本当にかわいいんです」と答えていたね。けっして謙遜しない姿が子供心にも嬉しかった。子ながらにも、自分の子供が褒められたら同じように堂々としていようと思ったよ。

家が別々になってからも、自転車で公園に遊びに行ったときには全力で一緒に遊んでくれたお父さん。スケートはわたしと妹の方が得意でお父さんはずっと尻餅をついていた。それでも必死にわたしたちを追いかける姿がおかしかったなぁ。

雨の日は映画鑑賞。映画をるときの真剣な眼差しを忘れない。映画をているとあっという間に時間が過ぎてしまうから寂しい気持ちもあって、映画は借りたくないと言った日もあった。そうすると何をしたらいいのか分からなくて、お父さんと別れたくなくてひたすら町を歩いたり。

駅のホームでずっとずっと手を振り合った。お父さんはどんな気持ちで見送っていたのだろう。お父さんが私を見る目、話す言葉の全てから私は愛を感じることができた。けっして言葉数が多いお父さんではないけれど、いつも一生懸命に「大好きだ」と伝えてくれてありがとう。

10代の後半にはお父さんに対して言いようのない苛立ちを覚えることもあったけれど、それ以上のキラキラした何かをわたしの身体は覚えていたよ。一緒にいる時間が全てではないと会えない時間が教えてくれた。お父さんがわたしを見る眼差しをそのまま子どもへと繋いでいきたい。今まで本当にありがとう。これからもよろしくね。

敬具

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今、父親は「もう何もいらないよ」と誕生日のプレゼントや父の日の贈り物を断る。社会人になってからは、こちらから連絡しない限り父親からの連絡はない。わたしは父親にはなれないので一生父親の気持ちにはなれないだろう。これからもずっと娘の気持ちでいたいと思う。