「リスを飼いたい」と父が言ったのは去年の6月。胆嚢炎で入院している時のことでした。

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早く元気になってほしい一心で、オスのリス一匹と家とエサを用意して父の退院を待ちました。この一年でリスはよく懐き、手からクルミを食べ、父が穿いているズボンにぶら下がるまでになりました。一度家の外へ逃げ出したこともありましたが、数時間後には寝床に戻っていたという珍事件もありました。

去年の8月、「どうしてもメスも欲しい」と言い出しました。そしてようやく見つけたリスが、もうすぐ父のもとにやってきます。   

映画『ローマの休日』が大好きな父は、2匹が揃ったら〝ローマ〟と〝ホリデー〟と名前を付ける、それが夢だと教えてくれました。なんて可愛らしい夢。昔の父からは想像がつきません。

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これまでに父は、大きな病気を何度も経験しています。9年前には脳梗塞を起こしました。初めての大病。『脳梗塞』という恐ろしい響きが、私達家族に大きな衝撃を与えました。半身不随や寝たきりなどの最悪の状況が頭を過りましたが、病室を覗いてみるとベッドの上では父が体を起こし、いつものように笑っていました。

その日は父の日。いつもは居ない兄夫婦と妹が実家に来ていて、皆で晩ご飯を食べている時だったそうです。父の話し方が急にスローモーションになり、これは普通ではないと思った兄が父を連れて救急に駆け込み、そのまま入院となったのです。早く気付くことができたため点滴の処置だけで済み、後遺症もありませんでした。

父は病院にいるというだけで普段と何も変わりませんでした。看護師さんをからかったり、母に「あれを家から持ってこい」「ないなら買ってこい」とこき使ったりとやりたい放題です。命令ばかりの父に憤りましたが、母はとても嬉しそうでした。「病院にいる時だけ言うことを聞いていればいいんだもの」「2週間も離れて暮らせるなんて夢みたいだわ」と言っていました。そんな日々はあっという間に過ぎ去り、良くも悪くも前と変わらない日常が戻りました。

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その4年後、今度は母が倒れ要介護認定が付いた年に、父は2回目の脳梗塞を起こしました。お盆休み中だったため、またもや兄達がいるその時でした。今回も発見が早く通院と点滴で済んだのですが、言葉がすぐに出てこないという後遺症が残りました。その2か月後、今度は脳出血を起こしました。この時ばかりは父も相当辛かったらしく、いつもなら言わない「死にたい」という言葉を何度も口にしていました。

コロナで面会が許されなかった3カ月、毎日のリハビリに美味しくない食事、差し入れすらさせてもらえない監獄のような生活は、逆に父を健康にしてくれました。ポッコリ飛び出していたお腹は平らになり、2回目の脳梗塞の後遺症が少し良くなっていました。

退院して家に戻ってきた父は、寝たきりの母の手を握り「大丈夫か?」「何か食べたいものはあるか?」「どこか痛くないか?」と声をかけていました。あんなに母を見下し命令してばかりだったのに、あれは母への甘えだったのでしょうか。本当は母のことが大好きな父。その姿を見て私は、2人がこんなふうに仲良くする姿を、ずっと見たいと思っていたことに気付くことができました。その後も圧迫骨折で3カ月、胆嚢炎で2週間と父は入退院を繰り返しました。でもその度に復活して戻ってくるのです。母の面倒を自分が看なければ、という想いが父の中に強くあったのだと思います。

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度重なる病気が父を変えてくれました。母の残された時間は父との優しい時間で埋められ、去年の8月、母はこの世を去りました。母がいなくなり父がまた「死にたい」と言うのではないかと兄妹で心配していましたが、むしろ「こんなに病気になっても死なないんだから、もう俺は死なないんだ、死ぬのはやめた」「でもお前たちに先に死なれても困るなぁ」などと言って私達を笑わせてくれます。

最近では〝ローマ〟と〝ホリデー〟が仲良くなったら、2匹の赤ちゃんが見たいと言います。私の勝手な想像ですが、父はずっと母に優しくしたかったのだと思います。何十年もそうできなかったことを後悔しているような気がします。ローマとホリデーを自分と母に見立て、その赤ちゃんを私たちに重ねて、見守りたいと思っているのかもしれません。もしそうならなおのこと元気でいてくれないと困ります。リス達のお世話をしてくれないと困ります。だって父の夢が叶うその時を共に迎えることが、私達の夢でもあるのですから。