ありともさやか。これは、まぎれもなく本名である。生まれた時から、正確には生後数日後に、両親が役所に出生届を提出してから現在に至るまで。私は、この名前以外で生活をしたことはない。地元は生きづらかった。
女子の輪にも男子の輪にもなじめなかった記憶が強く残っている。
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小学校に入学すると、私はたちまち1番になった。成績のことではない。出席番号である。〈あ〉ではじまる苗字の私は、名前を呼ばれるのも、健康診断も、さらにスポーツや音楽の実技テストなど、まっさきに順番がまわってくる。
環境の変化が苦手で、その上、物分かりの悪い私にとって、これは、かなり精神的に負担がかかる。もしも私が、アリトモではなく、藤原さんや松田さんなら、若い番号の人を見て何となく状況が飲み込めるかもしれない。
そんな場面で、出席番号1番ではお手本にできる人はいない。すべて手探りで動かなければならない。失敗すれば、笑われ、あきれられる。運よく成功しても「それがどうしたの?」という反応だ。最初の番号の人がいれば、最後の人もいる。集団生活ではごく当然のことでしかない。
ミスをして笑いものになれば「よし。あいつらを見返してやる!」そんなふうに意気込む勝気な性格ならば、小学校入学から大学卒業まで、ずっと1番の毎日は、さぞ鍛えられるだろう。
しかし、できれば先頭に立ちたくない性格の私にとっては、ますます内気に拍車がかかる。本当に悪循環だった。
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成人してだいぶ経ってから、子ども時代にこのあいうえお順の出席番号がいかに不利であったかという話をすると、ほとんどの人は笑い話として聞く。ところが、複雑な表情をするひとがひとりだけいる。父である。
父は極端に口数が少ない。が、いったん口を開くと、どこまでも理詰めで話す。一方の私は、まっすぐモノを言う感情的な性格。そんな親子の間にほとんど会話は成立してこなかった。
たとえば、私が社会人になった当初、駆り出されたイベントの現場で、数十個の風船を膨らます場面があった。それも機械などを使わず、肺活量だけを使うという原始的なやり方で。身体を使うのが苦手で、体力のない私は、ついにたったひとつの風船にも空気を入れることができず、同僚たちに迷惑をかけてしまった。家に帰ってそのことを、ありのままを打ち明けた。すると翌朝、父は100均で風船を買って来た。
「練習すれば誰でもできる!」
「(…もう、終わったのに)」
「すぐにできなくても、2日後、3日後には風船ひとつくらいなら膨らませるようになる。鍛錬あるのみ」
「(風船が膨らませるようになったところで、私の不器用さはそれだけじゃない。Excelも掃除の仕方も簡単な事務作業さえも、私はろくにできやしない。それらをすべて鍛錬あるのみの根性で生きていたら、睡眠や食事はおろかトイレに行く時間さえもないじゃないか)」
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似たような話は、履いて捨てるほどあるが、毎回懲りずに同様の展開に陥る。学生時代は真正面から言い返していた。けれども、社会人になってからは大喧嘩をする気力はすっかり失せてしまった。反抗しないかわりに私は黙り込むことを覚えた。
にもかかわらず〈アリトモ〉という、いっぷう変わったファーストネームに話題がおよぶと、たちまち父は良き理解者になる。男は働き、女は家に入るという昭和の教育を受けてきた。そんな父にとって、名前という自分で選ぶことのできないモノに、周囲の境遇が左右されるという不条理は耐えられないことであると同時に、口に出すのは「男らしくない」ことであり、抑圧せざるをえなかったのだろうか。
父が定年退職をして以来、私は父が会社で使用していたシャチハタを使っているが、インクを補充するたびに何とも言えない気持ちになる。