私はお父さんっ子でした。母が教育ママで厳しいということもあり、1人っ子である私を甘やかしてくれる父が好きでした。
でも、私が中学生になって思春期に入り、高校生活が終わる頃までは反抗期が続きました。複雑な乙女心を分かってくれない父が嫌いで、どうにかして困らせようとしていました。

私が父に反発するあまり、口喧嘩も頻繁に勃発していました。お互いヒートアップすると関西特有の口調の強さが出てきてしまい、売り言葉に買い言葉。まさに家庭内戦争、という感じでした。

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それから、私は大学受験に失敗。1年浪人することになりました。そのとき一番勉強のモチベーションになっていたのは父と一緒に勉強したことでした。
はじめは私が勉強した内容を一方的に話しているだけでしたが、父が過去問を一緒に解くようになり、切磋琢磨するようになりました。

父は大学の地理学科出身で、きっかけは地理の授業で気になったことを質問したことでした。その話題は地理の問題から国語の問題へ。国語の問題から英語の問題へ。理系教科の話はあまりしなかったものの、聞いて話して質問して説明する、つまりインプットとアウトプットを盛んにすることが最も知識の定着につながったように感じます。

また、父は酒造会社に勤務しており、趣味でコーヒーを淹れるのですが、「美味しさ」という目に見えない概念を一生懸命言語化して説明してくれました。
私が今このように文章を書くことに面白さを感じ、物書きになりたいと思うようになったのも、父の影響が大きいと感じています。

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このように父からたくさんの影響を受けて育った私ですが、何よりも恵まれているなと感じるはちゃんとお金をかけてくれた、ということです。
子どもにお金をかけるなんて当たり前だ、世の中お金じゃないぞ、エトセトラエトセトラ。そんな意見が聞こえてきそうですが、私が言いたいのはそういうことではありません。
金銭的余裕を持ってくれていたことで、私には諦める理由が1つだけ人より少なかったのです。これはとても稀有な、恵まれた環境であったと感じています。

もし、私に金銭的余裕がなければ、そのせいで諦めていたこともあると思います。そしてその一度の諦めは癖になります。お金がないから、が、時間がないから、人脈がないから、才能がないから、と変わっていき、一度ついた諦め癖はなかなか解消することができません。努力すればどうにかなることでさえも行動に移さないようになります。

実際、諦めずチャレンジして結局失敗しても、そこまで大きな被害になったことはありません。人が死んだり大きな社会的責任を背負ったり、若人1人ができる失敗にそんな影響力はありません。むしろチャレンジせずに諦めた時の方が、後悔が大きかったりします。

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父はもうすぐ63歳。私はもうすぐ22歳。
最近は、深いような浅いような話を肴に、専ら2人で晩酌をしています。
主な議題は、どんな話も母の作る料理よりお酒に合うつまみにならないのはなぜか、になっています。