私はバリバリ働く20代女性。今は親友と飲み歩き旅行に行くために働くくらい毎日活き活き暮らしています。そんな私の小さい頃経験した〝社会〟についてのお話です。

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小学生時代、今よりもずっと体が弱い子でした。
引越しを繰り返し、環境に馴染めないまま友人の作り方もわからずに本を片手にいつもぼんやりと過ごしておりました。

新しい引越し先はやや余裕のある暮らし、いわゆるお金持ちが多い場所でした。
大きなお家に、たくさんの習い事、ブランドものの洋服や靴などあげたらキリがありません。

転校初日、同じ教室のクラスメイトをみて身構えてしまったことを今でも覚えております。
最初はフランクに話してくれていたクラスメイトも、私が身体の弱い子だとわかると徐々に控えめになっていきました。

ドッジボールやかけっこに誘ってもらえなくなった時は少し涙がでました。
雨に濡れれば熱が出る、流行りがくればインフルエンザにノロウイルス。どうして、私ばかり病気にかかるのかと悩みました。
休みがちな私は、徐々に勉強から置いていかれ季節行事から置いていかれ、友達の輪やはやりから置いていかれました。

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先生が何かしらの説明をしてくれたあたりから、最初は話しかけてくれていた子たちもスーッと避けていくようになりました。
鈍感な私でもこの状況はまずいと焦ります。

「どうしよう、全然算数わからない」

焦りはあるのに、自宅ではやらなかった私はさらに置いていかれました。
当時のクラス担任はキリッとした努力と真面目が似合う算数担当でした。
算数で当てられて「わかりません」という私に「わかるまで黒板の前に立っていてもいいですよ」という先生の眼差しによく腹を下したものです。

逃げ出した私は、クラスメイトに教わってもわからず、先生に教わってもわからず諦めていました。
身体の弱い自分には学ぶ時間がないのだと、甘えて努力をしなかった私には初めてのリアルな現実でした。
甘えを見抜いた先生は、自分だけでは生きていけない社会を教えるために、自らが壁となってくれたのだと思います。

やり方は当時の私には残酷でしたが感謝しています。
勉強を見てくれた先生にあの時私は何も言えずしたばかり見ていました。大人になり厳しさを知った今だからこそ言わせてください。
ありがとう、先生。無知で甘ったれな私に、貴女は社会の厳しさを教えてくれました。
私は、自分の足でたちはっきりものを言えるくらい強くなりました。

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覚えていますか、先生。
凍えるようなあの日も、深々と雪が降っていましたね。
机を向かい合わせて、計算リレー。
グループになってみんなで競争、白熱していました。

忘れない、忘れないよ、先生。
賑やかな教室の一番後ろ、ストーブの横に1人。
教室の誰よりも暖かいはずなのに寒くて寒くて芯から凍ってしまいそうでした。

身体が弱く休みがちだった私を気にかけてくれたんですよね。
でも忘れられないの、先生。
校庭の雪だるまみたいに、教室の誰にも見向きされなかったあの時間。溶けて無くなっちゃいたかったんです。

どれだけ熱がでたって、構わなかったんです。過呼吸で息が吸えなくなったってよかったんです。私は、〝みんな〟に参加したかった。
〝みんな〟は私を心配してくれていた。
あの時の私は、「地獄への道は善意で舗装されている」なんて思っていました。

しかし、今ならわかります。個性あふれる社会で、集団を教え導く事がどれだけ困難を極めることか。一人一人に向き合う、その善意の心を持っても手のかかる生徒が疎ましく感じた瞬間もあったかもしれません。

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教室で馴染めず、登校も途切れ途切れでした。
そんな私に、保健室を勧めてくださいましたね。保健室で出会った先生のおかげで今の私があります。

結局私を地獄から救ってくれたのは、貴女じゃなかった。だけど、地獄からの帰り道を最後の善意で舗装してくれたのは紛れもない貴女でした。
私は、貴女を恨んでいません。経験から得られた学びは沢山ありました。先生から離れる様に転校してしまいましたが、次の環境では人が変わったようにいい人生がスタートできました。

小さな社会の縮図の中で先生が教えてくれた、忘れられない特別な経験。今、私は全ての経験を糧に日々上手に生きています。あの日を思い出すことはないとは言い切れませんが嘘偽りなく、貴女には感謝しております。本当ですよ、先生。