私は幼い頃から、読書が好きな子どもだった。幼稚園の頃は、パチパチと火が爆ぜる暖炉の前で、幼稚園にそろった絵本を引っ張り出しては読む、ということを繰り返していた。

また同時期に、母が寝る前に絵本を読み聞かせしてくれる習慣があった。自信満々に絵本を選び、母に渡すことは、幼い私にとってどんなに誇らしかっただろう。絵本のページをめくる度、その絵本の世界をふわふわと旅しているような気分になったものだ。いつも胸を高鳴らせていたように思う。

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幼い頃の我が家は、あまり裕福ではなかったから、お金をかけて出かけることも少なく、休日には図書館によく訪れていた。イラストが色鮮やかで、キラキラとした海外の絵本や、ちょっとひと昔前の児童書。どこか湿った本の匂いは、今も私の心に染み付いている。

図書館の帰り道には、図書館の隣にあった、個人店のピザ屋にて母と妹の三人で、ピザを食べる。木の温もりを感じさせる椅子やテーブルが揃えられ、丁寧な清潔感が漂う、古い喫茶店のようなたたずまいの店である。お店特製の納豆ピザを妹と半分こしつつ、図書館で借りてきた本を我慢しきれず、その場で読む。掛け時計が小気味よくリズムを刻んでゆく。ゆったりとした時が流れる、私の好きな時間だった。

そんな読書好きな私は、次第に自分で絵本を作るようになった。百円ショップで買った自由帳から、2〜3枚ビリビリと切り取り、それを半分、さらに半分と畳んで、ホチキスでプッチンととめる。そうすると、簡易的な文庫本のようになるのだ。無地の紙が、私の文字や絵で彩られてゆく。それは、蝶が花々と戯れるのにも似ていた。夢中になって、毎日そんな作業を繰り返していたように思う。

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小学校では、宿題で毎週出される日記が先生に褒められて、皆の前で自分の日記が読まれるようになった。綿毛をくすぐるかのように、恥ずかしさと誇らしさが混ざった気持ちに包まれていたのを覚えている。図書室に毎日通い、宝石箱を開くごとく、慎重に、でも直感に従って、本を選択する。ささやかな楽しみであった。

時は流れて高校生になり、私は文芸部に所属した。自分の作品を年に四回発行する部誌に載せるのだが、友人がファンとなってくれたことがとても嬉しくて、毎回喜びがこぼれたものだ。誰かに自分の作品を読んでもらう喜びを知った私は、大学で文芸創作を専攻することを決心した。そして無事に合格し、今に至る。

大学に入学すると、まず周囲のレベルの高さに打ちのめされた。文芸賞に応募している友人もいれば、明らかに書き慣れている友人も多くいて、私は何度も筆をとめた。自信は湧き出ることが少なくなった。ホチキスで絵本を作っていた幼い自分が、どこか遠くで泣いているような気がした。

それでも、「自分の色があるはずだ」と思い、こつこつと書き続け、ふと「かがみよかがみ」で投稿したところ、採用いただけた。飛び上がるほど嬉しかったし、今の自分の自信や励みにもなっている。

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小さい頃には野原だった場所は、年月が経ち、次第に踏み固められ、気付けば小道ができていた。それが、今の私の「学び」につながる道。

図書館に、母、ピザ屋の主人、先生に高校時代、大学時代の友人たち、かがみよかがみ。色んなものや人に支えられて、私の「今」がある。これからも、その小道に種を植えよう。花が咲き乱れていて、木陰の気持ちよい、そんな道にするために。今日も私は、旅人のように歩み続ける。