子どもの参観日。
一人でいることが好きな息子は、学校の休み時間も、一人で絵を描いていることが多いようだ。自由帳には、好きな電車の絵が毎日たくさん描かれている。友だちと外で遊ばない。雨の日も集団ゲームには交わらないらしい。教室でどんな様子なのだろうか。
寂しそうじゃないかな?からかわれたりしていないかな?
心配をよそに、息子は集団の中で、可もなく不可もなくやり過ごしている。
ああ、私も昔の記憶がよみがえってきた。小学校のクラス。授業中は、先生の声は聞こえているものの、教科書やノートの隅に絵を描いていた。休み時間は、友だちについていき、友だちの好きな遊びをする。どれもどこか霞がかった、うすぼんやりしやイメージ。楽しかったけれど、何故か窮屈な感情がよみがえってくる。
授業参観も終わり、帰りの会は始まった。ちらちらと私を見る息子。
そして、帰りの会が終わった途端、ぱあーッと私の方へ向かって走ってきた。そして、知っている友だちのお母さんの手を取り、私と手を繋がせようとした。
◎ ◎
「お母さん、〇〇ちゃんのお母さんとおしゃべりしな!」
私はビックリしてしまった。どうやら私が不安そうで寂しそうで、一人ぼっちに見えたみたい。
ああ、不安なのは、息子じゃなくて、私だったんだな。
息子への不安は、息子を通して見ている自分自身の弱さだと気づいた。
みんなと足並みを揃えること。異端に思われないようにすること。悪く言われることに恐怖を覚えること。無意識のうちにずーっと私の根底にあった感覚だ。学校の話を息子から聞くたびに、学校行事で校内に足を踏み入れるたびに、この感覚にレイヤーの中に入ってしまう。自然と身体も声も硬くなっていると思う。息子は、そのレイヤーの中にいない。むしろ息子は、自分のことではなく私の変化を敏感に感じている。
◎ ◎
守られてるのはどっちだ!?
そもそも、好きな事があってやりたいことがあって、それを周囲を気にせず遊べるってすごくないか?というか、それが普通なら、すごいとも思わないんだと思う。
私は、みんな違うし、それを尊重するってことを大事にしているのに、実は、自分自身がそれを一番認められていないんじゃないだろうか?「〇〇したい」とか「〇〇になりたい」って、実は、そうじゃない自分があって、そこから抜け出せないままでいることじゃないだろうか?一人でいることは友だちがいないこと、みんなと合わすほうが安心できると心の奥底では、思ってない?
全部自分の弱さだ。
息子に向けていた心配は、自分の弱さだと気づかせてくれた。
まずその弱さを認めよう。そして大丈夫って自分に言ってあげよう。そのあと、一人で立てるようになると決めよう!母の決意。息子が私の手を取った時、私の方がこどもみたいな顔をしていたと思う。
息子から守ってもらって、気づかせてもらった勇気を、決意に変えて行動したら、きっとまた新しい変化が生まれる。息子の人間関係も広がっていくだろう。