小学生の時、週に1回30分、絵本の読み聞かせの時間があった。流行りの絵本や、とことんふざけた面白い絵本、種類はバライティにとんでいたけれど、いちばん多かったのは、戦争についての絵本だった。毎週ボランティアで来ていた白髪のおばあちゃん。あの時は何も考えていなかったけれど、戦争がもっと尾を引いていた時代を生きていた彼女には、平和への強い意志があったのだろうなと、今なら分かる。

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学校で教えられてきた第2次世界大戦の歴史は、偏っていたと思う。というか、真実が多すぎて、時間が経ちすぎていて、権力者の子供がまた権力者になりすぎて、歪んだものになってしまったのだと、私は感じている。けれど、小さなころから知っていた、戦争の被害者11人の歴史には、真実と苦悩が確かにあった。それを分かっていたからこそ、その時代を反省してきたはずの私たちが作り上げた今が、タモリさんに「新しい戦前」と言われてしまう程のものだということに気づいた時は、強い衝撃受けた。

そして、残念なことに、先日あった東京都知事の結果や、その後の世論の反応は、まさに新しい戦前そのものだった。外国人や弱者を無視しようとしている人達が、投票率1位・2位だった。選挙でウケにくい政策も積極的に取り入れ、国民ために真摯に選挙に挑んだ蓮舫さんは、マスコミから顔写真を醜く加工され、テレビによって選挙妨害された。

報道機関への就職は、狭き門で、憧れだったはず。日本で最難関と言われるような大学に行き、とてつもない倍率を勝ち抜いたエリート達がやることがこんなくだらないことなのか。エリートとされる人達に品位も善意もなく、ただ強いものに巻かれるものばかりだと、こんなにも報道は悪化の一途をたどるのか。こんなにも、多くの国民は偏向報道をそのまま受け止めてしまうのか。偏向報道が根拠となって国の代表が選ばれているのならば、果たしてそれは、民主主義と呼べるのだろうか?

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正直、心の底では戦争なんて起こらない、そう思っていたが、日々、新しい戦前という言葉は私の中で現実味を増している。

多くの国民が、政治に真剣になることに疲れてしまっている。高すぎる税金のせい?働いていて忙しいのにそんなことを考える暇がないから?必死になったところで悪化の一途を辿る政治に呆れてしまったから?

それでも、私たちは怒り続けるべきだ。払った年金がってこないことも、政治家の不祥事が罰せられないことも、日本が戦争に向かい始めていることだって、1つだって許しちゃいけない。正しい政治家がメディアに執拗に叩かれ、悪事が明るみになっても報道すらされない政治家がいることに、れちゃいけない。

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世の中そんなもんだ、適応した方が早い、そんな風に腐らないこと。腐っているだけなことを、大人な対応だと勘違いしないこと。それが私たちができる政治への参加の1歩なのではないか。歴史と政治に精通していなくたって、税金や制度不足に怒っていいし、デモをしたっていいんだ。今日本に必要なのは、真面目に怒ることと、怒っている人を白けた気持ちで茶化さないこともなんじゃないかなと、私は思う。