私たちの身近には〝かわいい〟が飽和しています。
例えば、犬、猫などの動物。例えば、小さな子供や緩い表情のぬいぐるみ。例えば、有名なインフルエンサーやティックトッカー、モデル、俳優。例えば、例えば、例えば……挙げたらきりがありませんね。
昭和、平成、令和と時代が流れるにつれて言葉も意味が変化しつつある様に思います。
素敵、綺麗、感動した、心が動いたなど日本には様々な感情表現の言葉があります。
しかし、これらの言葉=かわいいでも表現出来てしまう現代です。
さて、今回は私が思うイマドキの〝かわいい〟についてのお話したいと思います。
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デパ地下や映画館、ライブなどどこに行っても聞こえてくる魔法の言葉〝かわいい〟を1日でも聞かずに過ごした日はありますか?
「新作コスメの発色が超かわいい」
「あの映画の女優かわいいな」
「推しがかわいすぎた」などなど。
気持ちが動いた瞬間で気軽に相手に伝えるにはぴったりな言葉ですね。
しかし、かわいいはお手軽に使える反面、私たちから多くのものを奪っています。
語彙、個別性、価値観、表現力。そして、心の安寧。
私は学生時代、容姿に悩んでいた時期がありました。好みの顔、好みの服は十人十色で人の数だけあるはずですが、スクールカースト含め出る杭は打たれるのが学生です。個性を平均化し量産型になってしまった人間が世の中にはたくさんいます。
残念ながら、私もその1人でした。
TPOに合わせることは大切ですが、世間のかわいいに合わせ自分の価値観や個性を潰す必要はありません。
右にならえ、出る杭は打たれる、そんな不安は大人になっても続いていきます。
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しかし、自分を抑えてまで得るかわいいに価値はあるのでしょうか?
私は、学校を卒業してから多くのしがらみから解放され自分が素敵だと感じるものを優先して取り入れるようになりました。もちろん、かわいいもほどほどに。
かわいいを捨てろとは言いません。例えば、きっかけさえあればデジタルデトックスというものがあるようにスマホをかわいいに置き換えてかわいいから離れるかわいいデトックスの時間があると自分を見つめ直すチャンスになるのかもしれません。
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今、世間のかわいいに疲れた(憑かれた)みなさんが無理なダイエットや望まぬ整形で自分を歪めてしまっているとしても考えや言葉を少し変えるだけで未来はどうにでも変化していきます。
世間のかわいいを目指すのではなく、自分がナンバーワンでオンリーワンなのです。
日本語は繊細で感情を表現する言葉は数えきれないほど存在しています。
よく考えてみてください。
一人一人が自分らしくある方がきっと今よりかわいいはずです。
かわいい、ばかりではなく多様な表現を使いこなせる方がより魅力的な人間になれるのではないでしょうか。
これはあくまでも私のかわいいとの距離感、感じ方なので私はみんなと同じがいいの!という方もいらっしゃると思います。
それも、認めましょう。あなたが考えた結果のかわいいであればそれは個性ですし立派な表現でもあります。
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ただ、今悩まされている方は一度考えることもありなのではと思うのです。
かわいいに囚われて自分を見失っていた私が考え方を変えることで楽に今を生きているからみなさんにも知って欲しいと思いました。
現在、私にとっての〝かわいい〟は世間を振り回す言葉から感情を表現するための1つの言葉に戻りました。
皆さんも1度、〝かわいい〟との距離感を考えてみるといいかもしれませんね。