かわいいものやかわいい人が好きだ。かわいいにはずっと目がない。好きなものはみんなかわいい。
だけど、“女の子らしい”という意味の『かわいい』とは言われ慣れてこなかった人生だった。たぶん、昔から『かわい』くはなかったんだと思う。兄と弟に挟まれて育ったわたしの記憶の中に「『かわいい』ねえ」と言われた記憶はほとんど存在しない。
むしろ、髪が短いからか男の子にたくさん間違えられたこととか、ばあちゃんに会う度ずっとずっと言われていた、「もっと女の子らしい『かわいい』格好をしなさい」の言葉とか。そういうのをわたしは、今でもぐるぐるジメジメと呪文のように覚えている。
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大人になったらスカートをきっとたくさん履くんだろうな、と思っていたような気がする。だってお呼ばれドレスも振袖も浴衣も、スーツですらそうだから。
10年以上前のその思考通り、わたしはその全てをしっかり身に纏ってきたわけだが、「『かわいい』から」着ることもあれば、結局「着なければいけないから」着ることもあったなと思い返す。
むしろ、最近人生で2度目の友人の結婚式に参加したがシンプルな黒一色のパンツドレスを迷わず「これかわいい!」と選んでいたし、スーツを着る機会が最近はめっきりないがきっと新しく新調するなら、今のわたしだったらパリッとしたパンツスーツにするだろうなあ、とも思ったりしているくらいで。
「スカートなんてめったに履かないよ。そんな至極単純にわたしはできてないよ」子供の頃の自分にそう言ったらどんな反応をするだろうか。がっくりと肩を落とされるだろうか。
大人になってもばあちゃんの何気ない言葉に傷付けられ続けるの?と眉をハの字にされながら聞かれるだろうか。地元を離れてしまったからまあ、最近はばあちゃんに直接会うことはめっきり減ってしまったのだけれど。
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でも、とはいえそういう『かわいい』ものを「いやかわいくないよそんなの」と強く突っぱねることも別にない。
世の中は相も変わらずずっと、ふわふわしてキラキラしたお姫様みたいな女の子のことを『かわいい』と言い続けているような気がするけれど、その波に乗っかりたい時もそれはそれでごくたまにある。男ウケとか女ウケとか、髪が長いとか短いとか、ピンクかブルーかとか。
わざと『かわいい』ものを選んだりもするし、選んだものが『かわい』かったりだって当然する。
つまり、大人になってわたしはたぶん、『かわいい』も、そうじゃない「かわいい」も、両方うまいこと手にすることができたんだと思う。
子供の頃ももしかしたら無意識にそれをしていて、ただ、どんどん歳を重ねて思考も個人的な、個性的なものになっていって、そしたらいつのまにか「かわいい」に対する解像度とか明瞭度とかが強くなって「他人の『かわいい』なんてどこの空。自分のそれを追い求めるだけ」になっただけ、なのかもしれないけれど。
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「かわいいね」と言われると途端に照れてしまう。言ってほしくないわけではないが言われると普通に照れるからあんまり言われたくはない。
目立ちたくもないし、ただわたしはわたしの思う「かわいい」ものに囲まれたり身につけたり愛でたりしたいだけで他人からの評価はあんまり必要ない。
『かわいい』との距離感はたぶん、そんくらいでいい。『かわい』過ぎるのも嫌だし、『かわい』過ぎないのもなんかよくなくて、ちょっと『かわいい』、くらいでたぶん、ちょうどいい。自分らしくありたい。自分らしくあるためにはそのくらいの加減がいいんだと思う。
たぶんもうばあちゃんに「かわいいねえ」と言われるような歳じゃないからきっと言われないだろうけれど、ばあちゃん。
わたしは今でもかわいいものを着ているよ。かわいく生きているよ。また今度ゆっくり会いに行くね。めいっぱいの「かわいい」を身につけて。