私に「かわいい」という言葉を一番多くくれたのは母で、その次は祖母だ。高校生くらいまではかわいいと言われたくて仕方なく、かわいいと言われるクラスメイト身近にいればいるほど心が重くなった。

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かわいいを目指し、肩甲骨まで伸ばした髪を、かわいいに疲れた二十歳の頃当時男性に人気だった髪型のザマッシュにした。

「すごくかっこよくて似合いますね」と言われた時、私が二年間伸ばした髪は、かけたシャワーの時間は、乾かしていた時間は何だったのだろうかと自虐的な気持ちと共に、やっと世間のかわいいに縋り付くことをやめられた気がした。

母は、マッシュになった私を見て「スッキリしていいね。すごく似合ってる」と言ってくれた。友人たちも同様に、「こんなにショートが似合うのいいね」などポジティブな意見をくれた。
嬉しかった勇気を出して切って良かったと思うと同時に、今になって振り返ると、当時は結構悲しかった気がする。

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私に一番かわいいと言ってくれた母が急逝したのは今年の二月のことだった。高校生の頃よりストレスがなくなったためか肌が綺麗になり、アルバイトをして自分の好きなものを買えるようになり、自分のお金で自分の好きなスキンケアやヘアケア用品を買って自分磨きが楽しくなっていた最中だった。

何もできなくなった。お風呂に入れない日もあった。アルコールに溺れ、吸えなかったタバコにも手を出すようになった。自慢の一つだった歯の色が心なしか黄ばんだ気がし、前髪が少し禿げた。自分の不摂生のせいなのに鏡を見て泣いていた。

毎日毎日、母の突然の死に泣き、自分のことが嫌で泣いて、学校に行って四時間医務室で泣いてしまった日の帰りの運転は本当に自己嫌悪で死にたくなった。

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その日私は無理に学校に行くことをやめた。実習に行けないためにドラッグストアに行きピアッサーを七個買い軟骨に三個、耳朶に四個、某アプリを開き美容室の予約を入れた。

翌日、美容室に行き、かわいいの塊の美容師さんに「どうされますか?」と言われ、私は、

「金髪にしてください」

とお願いした。

パーソナルカラーを調べてもらった際に、「茶髪や金髪は似合わないです」と言われたけど、どうせならあの頃、かわいいにもがき苦しんだ青春時代の正反対になってやろうと思った。

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母と共に服を見に行くのが好きだった。化粧品を見るのも、香水を見るのも、石鹸を見るのも好きだった。二人でお互いの髪型や髪色はどうしようかと話す時間が好きだった。

私は今、それを全て一人でしている。

制服に囚われていた時はわからなかったが、かわいいにはたくさんの種類があることを知った。

今の私をかわいいと言ってくれる人も、かっこいいと言ってくれる人も、個性的と言ってくれる人もいる。

もちろん他の意見の人だっているだろうけど、結局その人たちに何と言われようとも、嫌われようとも母が生き返ることはない。という自分でもよくわかっていない悟りの境地に至った

他人の意見に囚われないかわいいは楽しい。自分ウケが大事というのは本当だったらしい。

母ともっと、かわいいを、お互いの好きを共有したかったけれどそれはもうできない。ならばせめて、二十二年間母が私にくれたかわいいという言葉と共に自分の好きなかわいいをこれからも楽しんで追い求めていきたい。