大学に入る直前、入学前課題としてレポートを出された。徳冨蘆花の「不如帰」を読んで、主人公の心理描写と伺える時代背景についてまとめるというものだ。

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高校3年生の冬休みから3月初旬までに書けば良いものだったので、短くても3ヶ月は余裕であった。しかし人間とは不思議なもので、期間が余裕であればあるほど後回しにしてしまうもの。ついにあと1週間で期日という日まで、私はレポートに手をつけなかった。

問題だったのは、そもそも「不如帰」を手にしてないことだった。図書館にでも行けばよかったのだろうが、あいにく図書館の利用券を作っていなかった私は、けれどもうすぐに上京してしまう。たった一冊、レポートのためだけに利用券を作るのは憚られた(と言えば聞こえはいいが、要は面倒くさかった)。

古本屋にも行って探してみたが見つからず、結局フリマアプリで「不如帰」を購入した。届いたのは期日まであと3日というとき。これから小説丸々1冊を読み切り、レポートを仕上げなければならない。

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しのごの言っても始まらないので、私は己を自主的に隔離し、小説を読んだ。ネットであらすじとネタバレを検索してある程度予習はしていたが、やはりその時代の言葉遣いや文化によって、生理的に受け付けない表現が多々あるのには苦労した。

結論から言うと、「不如帰」を読んでレポートを書き切るまで1日もかからなかった。
親には驚かれた。142,379文字の長編小説である。実を言うと、私もこなせると思っていなかった。やれるとこまでやろうと諦め半分で挑んだ結果、読み切った上で書き切ってしまったのだ。

そのときに、私は速読が割と得意であることを認知した。元々小説はあまり読まず、漫画ばかりだったので気づかなかったのだろうが、思い返せば漫画単行本も1巻を15分程度で読み切っていた。よく食事時に「咀嚼が少ない」と注意されていたが、本に対しても咀嚼が少ないタイプのようだ。

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しかし、いつでも本領を発揮できるわけではない。今はもっぱらエッセイを好んで読んでいるのだが、ここでも不思議なことがある。私は別のことを考えながらも無意識に文字を目で追ってしまう。
本を前に、文章は確実に目で追っていて、でも頭はまったく別のことを考えていて、ハッと気がつくと目はさっき読んだ内容から随分と進んだ地点の文章を追っている。その間に記されている内容は一切頭に入っていない。けれども途中途中にある単語は確かに読んだ覚えがあって、私は無意識のうちにまったく違う動作と思考を同時進行させている。
もちろん、内容が頭に入っていないので、今度は本に集中して読み直しということになる。はっきり言って二度手間であるため、1冊を読み切るのに2週間…、いやもっとかかる。

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レポートのときの速読は、時間に迫られたことによって私の持ちうる集中力を極限まで集約し発散した状態だったのだろう。レポートのフィードバックも言わずもがな良いものだった。
状況によって速読できるときとできないときがあるため、特技として明言できないのが悔しい限りだ。