お客さんからのメールに返信する。これが私の仕事。

そこに自分の感情は乗らない。乗せてなんかいられない。届くメールの多くはクレーム。そこに淡々と返信して表面上でも謝らないといけない。もちろん、こちらに非がないと思って反論したくなっても、私はただの平社員。身勝手に自分の意見なんて送信できない。会社としての回答をきちんと書いて返信する。本当につまらない仕事。

◎          ◎

私はおしゃべりな子だった。「お家のことを今日も話してくれました」なんてことが保育園の先生からの連絡帳によく書かれていた。小学校に上がってもおしゃべりな私は健在で、スピーチコンテストに出たり、自分の考えを書ける作文が大好きだった。話すのが好き、というより、自分の考えを誰かに伝えるのが得意だったんだと思う。

中学受験。面接があった。緊張したけどめちゃくちゃ楽しかったことを覚えている。中学受験の面接は話せば話すほど加点になる。黙らなければ大丈夫。そう塾の先生から教わっていた。だからおしゃべり娘な私にとっては得意分野の試験だった。無事中学には受かった。そしてこれ以降、自己主張が得意ではなくなった。

中学の作文コンテストや読書感想文では優良学生らしい考えを書いた友人の作文がよく入賞していた。私の文章が選ばれることはなかった。素直に書いてる私の考えの何がいけないんだろう……。言葉がダメなのか、考えがダメなのか、表現がダメなのか、何が正解なのかわからなくなった。不思議だった。

◎          ◎

年を重ねるとこの違和感は顕著になった。就職の面接。企業の求める人物像に合うように、自分がうまく寄り添えるように、ちょっとずつ話を曲げて、採用担当に気に入られるようにもっともらしい経歴を述べる。

思ったことをそのまま話せば評価された中学の面接とはどこか違った。就職後も状況は変わらず、どこかずっと本音を隠している感覚。「●●社のわたし」で言葉を交わす場が増えた。

◎          ◎

ある日、キャリアについて書かれた本を読んだ。そうするとすごく面白くて著者について調べていたらなんと近くで出版イベントがあることがわかった。サインをもらえるかも……という邪な気持ちでイベントに参加。そこで著者に直接感想を伝えた。「〜というところがとてもよかったです!」「あと……」夢中に話すと「よかったらそのメモぜひメールで送ってくれない?」そう言っていただけた。

私はきちんと感想を伝えたくて心に残った本の文章をメモして持っていっていた。それに気がついて声をかけてくださった。

私は家に帰ってメールに夢中で文書を打った。どんな場面で感銘を受けてどんなことを感じてどう思ったのか。いつも職場で打っているメールとは違って軽やかにキーボードを押した。

後日丁寧な返信が届いた。私のまとまってない感想に対して返ってきたそのお礼のメールはなんだか嬉しくて、自分の考えを誰かに伝えるってこんなに楽しいんだと、幼い頃の無邪気な感情を思い出した気がした。

◎          ◎

社会に出ると話していいこと話しちゃダメなことその分別が求められる。それはトラブルを避けるためにも仕方がないこと。でも思ってもないことを言って、感じていない褒め言葉を言った結果、私は毎日が退屈になった。

だからこそ、せめてプライベートだけでも。自分の考えを大切にして、伝えたい人には素直に伝えていきたいと思った。幼い頃はボキャブラリーがないから表現も拙く誤解を産むこともあったかもしれない。

ただ、今はある程度年を重ねて表現方法も増えた。思ったことを口頭の言葉じゃなくても文章にすればいいし絵をけばいいし時には歌ってもいいかもしれない。

私の得意分野は、「こうやって」自分の意見をあなたに伝えること。