20代前半、自分は無敵だと思っていた。

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好きな服を着て、好きな髪形をしていた。眉毛がしっかりと見えるくらい前髪を短くするのが好きだった。我ながらよく似合っていたと思う。

「若いっていいね。何をしてもかわいいから」

ある日、職場の先輩たちが放った言葉は、小さいながらも棘のようにしっかりと私の心に痛みを残していった。

彼女たちの笑顔からにじむ悪意。彼女たちは私の若さに嫉妬していたのかもしれない。私が彼女たちより若いことは事実だし。
でも、私も彼女たちと同じように今流れているこの時間や若さが惜しくなる日がくることがこわかった。好きな服や髪形が似合わなくなる日がくることを。

いつか年を重ねたとき、私は「かわいい」を手放さないといけないのか。
いつまで私は「かわいい」のだろう。
「かわいくなくなった」私はいったいどうなるのだろう。

そんな漠然とした不安があった。

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それから2年後、私はなんだか日々の忙しさに気持ちが追い付かなくなって、すべてをおいて日本を飛び出した。
ずっとあこがれていた異国の地に行くために。特に目的はなかった。とにかく今いる場所から逃げ出したかった。

街を歩いていると、ショーウィンドウに並ぶ、北欧ならではのカラフルな服に目を奪われた。少し悲しい日だってこの服を着たら笑顔になれそうだと感じた。でも、これを着こなせるのはスタイルが良くて肌の白い「かわいい」人なのだろう。そう思ってただ眺めていた。

そのあと、公園でパンを食べながらのんびりと時間をすごしていたとき、ワンピース姿の女性がふと目に入った。大きな花柄のワンピース。膝丈よりもうんと短い。70代くらいのマダムが着こなしていた。

内心驚いたのだ。私の周りではあの丈の服を着るのは若い人ばかりだったから。でもとても素敵だった。

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ふと、一着のスカートを思い出した。気に入って何度も履いていたスカート。もう私の年齢には似合わない、かわいすぎる服になってしまったと感じたから手放した。でも、今も本当は好きだった。

彼女の姿を見て気づいたことがあった。この街にきてから、私は自分の服装をあまり気にしなくなっていた。
それは無関心なのではなく、どう見られているか不安に思うことがなくなったということ。
言語が違うとか、その地の流行りを知らないというのもあったのかもしれない。でも何より大きかったのは、誰も他の人のことを気にしていないのだ。

無関心というわけでなく、他者を他者として認めていた。どんな体型であろうと、外見であろうと、「ひとりの人」としてしか見られていない。それがこんなに心地よいことだとは知らなかった。

相手を評価するのではなく、好きなファッションを自分で楽しんでいた。あのマダムもそうだ。ただその服が好きだから、「かわいい」から。きっとそんなシンプルな理由しかないのだ。

若くないから、似合わないから、そんな余分な感情はなかった。

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なんとなくだけれど、行き場がなく心の中に散らばっていた不安が少しずつ消えていく気がした。心が軽くなるということを体感した。

私はいつの間にか、周りの人に「かわいい」かどうかの決定権を渡していた。

何歳でもかわいくていいのだ。
自分が好きな服や髪形を選び続けていい。いつまでも「かわいい」に心動かされながら過ごしていいのだと思えた。

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簡単に見えて実はとても難しいこと。でもあのとき気づいたことは間違いなくこれからの私を支えてくれる。
私は今も好きな服を着て、好きな髪形をしている。眉毛がしっかりと見えるくらい前髪を短くするのも大好きだ。
今日はあの日ショーウィンドウに飾られていたカラフルな服で出かける。
きっと年を取っても私はずっとかわいい。