私にとっての「あの子」はひとりしかいない。人生の半分以上一緒にいるあの子のことだ。今となってはもう、あまりにも一緒にいるから、彼女が私にとって何なのか表すのは難しい。友達とか、親友とか、そんなものすら超えたなにかだから。

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私と彼女が出会ったのは小学生のころだった。仲良くなったのは私の記憶では五年生か六年生だが、彼女は三年生だという。たぶんクラス名簿を遡れば分かるけど、私たちは結局いつもそれをしない。

私たちがなにをしていたかと言えば、もっぱら話すことだった。休み時間、校庭の端にしゃがみこみ、ドッジボールやら鬼ごっこやらをする活発な児童たちを眺めながらただ喋った。中学校に上がって、また同じクラスになって。移動教室のとき彼女がいつも手を繋ぎたがるから、私の左手はいつも彼女のためにあった。

別々の高校に入学し、ずっと会えない代わりに馬鹿みたいにLINEでやり取りをした。しょうもない内輪ネタだろうが何だろうが、彼女と話せばなんだって面白かった。いつの間にか会っても私の手を握らなくなったのが少し寂しかったけど、私は天邪鬼だから「成長したやん」なんて笑うことしか出来なかった。でも家に行ったら当たり前みたいに私の膝に頭を乗せてくる、そういうところが好きだった。

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彼女がパパ活を始めたと言い出した時、私は怒らなかった。私は良い奴じゃない。今でも思う。止めてあげるのが愛情だったのかもしれない。けど、私は彼女に言ったのは、こうだった。

「あなたの人生はあなたの人生で、あなたの選択はあなたの選択だから私は止めないよ。止めないけど、心配はしてる。心配はしてるし、あなたがしてることは援助交際だと思う。でも、あなたがしたいなら私は止めない」

それから月日がたち、私たちは大学生になった。私は上京して、彼女とは離れ離れになった。久しぶりに会えたとき、彼女は私にこう言った。

「私さあ、高校生の時に援交してたじゃん?」

私は、うん、そうだね、と返事をして、それからやっぱり「成長したやん」って言った。

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高校から大学にかけて私もやっぱり少し成長して、あなたが好きだよって言えるようになった。ある日、メイク直しをする彼女を見つめながら、「メイクしなくたって、ちょっと崩れてたってかわいいよ」って言ったら、「そんなこと言ってくれるのはお前だけだよ」と言われた。なんでも、元彼にはすっぴんで隣を歩くなと言われたと。私は顔も名前も知らないその男に憤り、「あたしだったらいつだってかわいいよって言うのに、なんであたしじゃなくてそんな男の隣にいるのよ!」と言って笑われた。

大学から社会人にかけて、お互い色んな事を経験した。お互い病んだし、抱き合いながら泣いた日もあった。いつしかほとんどLINEもしなくなった。でも地元に帰るときは絶対に連絡する。地元に帰って彼女に会わない選択肢なんて私にはない。元々人に連絡するのは得意じゃない。でも、どんなに長い間会わなくたって、連絡もしなくたって、私が「会いたい」って言ったら「私も会いたい」って言ってくれるのを知っている。なにより、私がこんなに会いたい。

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彼女が私にとって何なのか。その答えはある日見つかった。英会話で「友情」について話していた時、私は彼女の話をした。その中で私の口から出た言葉はこうだった。

”She is a part of me, and a part of my life.”

彼女は私の一部、私の人生の一部なんだ。

英会話の先生は、それはとても美しい言葉ね、と呟いた。私もそう思う。お互いどうしようもない人間だけど、あなたに出会えて良かった。人生の序盤であなたに出会えて、これからも私の人生の中であなたの割合がどんどん増えていく。あなたのいる人生が増えていく。それがこんなに嬉しい。そんな気持ちが湧く、それが特別ってことなんじゃなかろうか。