根っからの自由人で、好きなことしかしたくない私にとって、強制される勉強は苦痛でしかありませんでした。

教育を受けさせる義務が発生する15歳までは、優しい私は両親のために学校に通い、しっかり勉強していました。
しかし義務教育が終了してから6年。私は今でも教育機関で勉学に励んでいます。

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1番最初に自ら選択したのは6歳。小学校受験をしたいと言い始めました。

当時幼稚園で仲の良かった子と同じ小学校に行きたいと主張したつもりでしたが、それはつまりショウガッコウジュケンをしなければならないということでした。

しかしハナから元々勉強をしたいという動機ではなかったため、頑張ってショウガッコウジュケンに合格しても6年生になる頃にはすっかり勉強嫌いになっていました。
さらにその頃は中学受験のために塾に通う毎日で、嫌いな勉強を、しかも強制されることで、勉強嫌いはさらに加速しました。

塾に行くのは親に言われてのことだったし、宿題も与えられた課題もただこなすだけ。
勉強は単なる義務で、楽しさや必要性も理解していませんでした。
いつも「なんで勉強しなきゃいけないの?」と文句を言い、その答えが見つからないまま、言われるがまま勉強していました。

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なんで勉強しなきゃいけないの?
小さい頃のそういう質問に今でも明確に答えを持っている訳ではありません。

当時は今よりもっとそのことについて考えていたと思います。
でも自分のことを何とか納得させて、何とか勉強してる。

しかし本当のことを自分ではわかっているのです。この勉強はただの手段なのだと。
手段としての勉強はあまり楽しくありません。
将来に間接的には繋がっていても直接繋がってるわけじゃないなと冷静になってしまうからです。

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義務教育が終わると、勉強の意味や価値について考える時間がより増えました。
高校では、勉強の内容もレベルも一気に上がり、それこそ勉強する理由が明確でなければ勉強なんて続けられませんでした。

好きな教科もあったしその教科を勉強することは楽しかったけれど、勉強が手段であるという考えは拭えませんでした。
むしろ必死に勉強することの言い訳のためにその考えが強くなったように感じます。
進路選択においても、好きな教科である地理を活かしたいなんて話は一回も出てこなかったし、それどころか私は理系選択の人間でした。

だけど、やっぱり勉強は楽しい。
知らないことを知ること、良い成績を取って自己肯定すること、頭を使って考えること、全部好き。

これが何に繋がってるのかは分からない。
ただ、将来の夢やキャリアなんてものはなれたらなるもので、なれなかったときはなれなかったものなんだと、そう思います。
行けたら行くみたいなもんなんだなと、そう思います。

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現在、自由人は大学3年生。

大学に進学してからは、より専門的な知識を学ぶ機会が増えました。
自ら学びに行っているという感覚も強いです。
これまでの勉強が、単なる手段から自身の血肉になっているのを感じます。

自由人は今日も、行けたら行く。