私の彼氏は、LINEのメッセージや通話の声色だけで私の様子を察してくれる。自分では調子が良いと偽装できているつもりでも、全てお見通しなのである。私はメンタルの病気を持っているため、たまにこの世界が物凄恐怖で満ち満ちていると感じる時がある。調子が悪い時にニュースで自分と同年代の女性が犯人になっている事件などを目にすると「私もいつか罪を犯すんじゃないか」とか、「犯罪者になって周りに迷惑かけたらどうしよう」などという非現実的な、妄想に近い考えに支配される時がある。

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そういう時にいつも通りに続いていたLINEを返すと、「今調子良くないでしょ」と見抜かれるのだ。別に文面で何かアピールをしているわけでもないのに彼の観察眼には毎度驚かされる。そういう時は迎えに来てくれて、一人で抱え込んでしまっていた不安を分け合いっこしてくれる。たまにナイトドライブに連れ出してくれて、夜の港を見ながら話をすることもある。そのたびに、「この人と一緒にいられて幸せだな」と思って気を取り直す。

健常な人の「きゅん」とは、また少し違っているような気はする。小手先の恋愛テクニックには全く心が動かない。壁ドンとか顎クイとかもう古いかもしれないけれど、10代の時もそのような表面的なことに心が動いたことはないに等しいかもしれない。多分これが「重い」女たる所以。

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でもこの社会を生きる上での不安や諦めを一緒に享受して、一緒にサバイヴしてくれるような人じゃないと嫌なのだ。何にしても軽薄だったり浅はかだったりする人は、信用に欠ける。発する言葉一つとってもそうで、「あの女ブスだな」、「これマズくね?」、「◯◯みたい(マイナスな例え)」など自分がジャッジするのが当たり前で、それがイジりとして面白いと勘違いしている優しさに欠けた現代人のサンプルみたいな人が無理すぎる。

そのような人は、例え金や職業や学歴や顔など表面的なところが特別秀でていても中身はすっからかんのがらんどうである。今の時代はなんでも数値化されて数字を取るものが正しいと惑わされがちだが、いやそんなことはない。マッチングアプリで知り合って交際している私が言うのもおかしい気がするが、恋愛や結婚の相手に「条件」をつけることが甚だ間違っている気がする。「年収がいくらで、身長はいくつで、年齢差は何歳までで、家事の負担は何割してくれて……」なんて、そんなことを恋愛が始まる前からジャッジして考えるのは良くないと思う。恋愛なんて本能で嗅ぎ分けて探り探りでやっていくもんで、きわめて動物的なものでいいはず。それで結果的に望んでいた「条件」に何かしら当てはまることだってあるのだから。

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ちょっと話がそれて現代恋愛批評みたいになってしまったけれど、私は優しさにきゅんとする。疲れ切って殺伐とした感情の中に、すっと入り込んできてあたためてくれるような優しさ。エアコンで冷えた肩にそっと上着をかけてくれるような優しさ。「あれ美味しそう〜」と何気なく言ったコンビニの新商品を仕事帰りに買ってきてくれるような優しさ。私自身は実はどちらかと言うと現代人の悪しき性格を闇鍋で煮詰めたあとに更にミキサーにかけたみたいな感じなので、正反対の人に惹かれる。私がバキバキのヘヴィメタラーだとしたら、彼氏はウィーン少年合唱団の一員である。

そんな神聖な優しさを醸し出す彼氏の人生を私の強烈なシャウトで汚さないように努力精進して参りたいと思う。