私は長らく小説を書くことを趣味としてきていますが、書き始めてはや十年、何度か筆を折りかけたことがあります。
初めて筆を止めたのは、およそ十歳ごろのことでした。
「こんなくだらないものを書くな」
そう言ったのは母でした。しかも、私が初めてまともに文字を綴ったルーズリーフを取り上げながら、です。
もとより私は物語を作ることが好きで、たびたび何かを空想してはぼんやりと物思いに耽る、そんな生活を送ってきていました。それをきちんと形にしようと思い始めた頃の出来事です。
何を隠そう、私は当時好きだったコンテンツの二次創作を書いていました(初めて書くきちんとした小説でしたから、二次創作であったことはどうにか目を瞑っていただきたいです……)。
心の赴くままに書き連ねていたのでどこへ着地するかもわからない物語でしたが、書くという行為はどこまでも自由な鳥になって羽ばたいていくかのようで、初めての感覚に幼いながらも沸き立っていた記憶があります。それを取り上げられての、上の発言でした。
これにより、「私の書いたものが人の目に触れてはいけない」――そう思った私は、隠してさえいれば誰も私が書いている物語を覗き込もうとすることのない学校だけで、書き続けることに決めたのです。
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前提が長くなりましたが、このような経緯があって、私は学校で物語を書くようになりました。中学生になって文芸部へ入部したのも、学校で物語を書き続けるためでした。
当時はなんとなく、私の書いたものは誰にも受け入れられないものなのだと感じていました。書いた物語が人の目に入ってしまう部活動では当たり障りのない物語を書いて、人の見えないところで、私自身が好きな物語を書いて雲隠れをするのがよいと考えました。
しかしそれを実行しようとすると、どうやら私は貪欲な人間であったようで、当たり障りのない物語を一本書き上げたら、同時に書き上げていた私好みの物語も部の文集に載せたくなってしまったのです。
当時所属していた部活ではペンネームを複数持つことが許されていたので、当たり障りのない物語を私のメインペンネームで、私好みの物語を使い捨ての名前で掲載するに至ったのでした。
そのとき私はよく、仲のよい友人に文集を読んでもらっていました。友人はもとより私の書く物語を好きと言ってくれていたのですが、そりゃあ当たり障りのない物語だからなあ、と真正面から受け取らずにいたのです。
そんな中友人は、私がうっかり載せたくなってしまった私欲まみれの物語を指して、「この話も好き」だと言ってくれたのです。それが私の書いたものであることを明かすと友人はものすごく喜んでくれて、やっぱり君の書く物語は素敵だ、とまで言ってくれました。
初めてのことでした。誰かに、私の書くものを好きだと言ってもらえたのは。今でも思い出すだけで泣きそうになります。かつて否定された私の物語を好きだと言ってくれた友人の言葉は、その出来事からもう五年ほどは経ちましたが、今でも心に深く刻まれています。
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あのとき友人がいてくれたから、友人があの言葉をかけてくれたから、今の私は物語を書き続けることができ、そしてこのエッセイを書くことができています。それはどれほどの幸運でしょう。
どんなに私が自信をなくしても、私の物語がどんなに劣っていると感じても、その友人だけは変わらず「好き」だと言ってくれるのかもしれない。その希望だけで、私は書き続けることができるのです。
こうして書き綴ってみると、私の想いは重たいのかもしれませんが。それほど、私にとってかけがえのない思い出なのです。友人の受け売りですが、これを読んでくださったすべての方々にお伝えしたいと思います。
あなたの物語は素晴らしい。
何に劣ることもない、何よりも素敵な物語だ。