「3か月で辞めたあの子」という名前の、Twitterアカウントを持っていた。遡ること4年前、コロナ禍で社会に出て、3か月で限界を迎えた時に作ったアカウントだ。激務に耐えていた3か月間は、同じ20卒のツイートを見るだけだったのだと思う。激務から離れたら上を向くかと思われた調子が急降下し始めたときに、「3か月で辞めたあの子」は生まれた。

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「3か月で仕事を辞めた」だなんて、友人はおろか家族にもしばらく言えなかった事象を吐き出すために生まれたのだ。発信用ともリア垢とも違う、心のいちばん内側をほそぼそつぶやく、ある種のセラピーのようなアカウントだった。

あの頃、Twitterで「20卒 仕事やめたい」と検索すると、リタイア寸前のアカウントがいくらでもヒットした。フォローはするけれど交流はない。「お疲れさま」「明日も生きよう」の気持ちを込めて、いいねを押すだけだ。私たちには励まし合う気力さえなかった。できることは、互いにしなだれかかって、なんとかそれぞれが自分の足で踏ん張ることだけ。

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交流は多くなかったが、1人、特別な親近感を覚えていたアカウントがあった。かわいらしいあだ名のアカウント名で、小さな会社で苦労する様子が自分に重なった。彼女がこぼす怒りや苦しみ、その全てに共鳴していた。
特に、周囲に味方と呼べる人間がいない辛さが共通していた。会社に味方がいない。励まし合ったり泣きついたりできる相手はもちろん、相談や愚痴をこぼせるような信頼できる相手が1人もいない。孤独に戦う姿に心を痛めて、まだそこで頑張るのなら応援したいと思ったりして。彼女がどこの空を見上げているのかは分からないけれど、ただ1人の同期のように感じていた。

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会社を辞めて半年ほど、実家で療養生活をしていた。心身ともに疲弊していて、1日中寝ていられる自分が怖かった。心ゆくまで眠ると、少しずつ感情が上向きでいられる日が増えた。それに伴い、「3か月で辞めた」アカウントの居心地は悪くなっていったのだった。後悔と挫折と自己否定を、ドロドロに煮詰めたかつての居場所。もう、必要ないと思った。

アカウントの削除は容易い。共に戦ってきた仲間たちとのつながりが、ワンタップで失われるだけだ。ただ、唯一の同期のように感じ、仕事に立ち向かう彼女の横に毎日並んでいるような気さえしていた姿を、見守れなくなることだけが心残りだった。投稿があればいいねをして、特別心を寄せているときにだけリプライを送った。それだけの相手に、私はここを出ると報告する義務はない。されたって困るだろう。私たちは引っ込み思案なやり方で支え合った。最後まで、それでいい。

意を決して「アカウントの削除」をタップする。半年間入り浸った、泥沼の楽園を卒業した。

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心の支えだった、アカウント名しか知らない人たち。だけど確かに、2020年を生き抜いた戦友たち。しなだれかかって、支え合った人。全ての仲間が、心身ともに健康で、同じ空の下生きていることを願っている。