ファッションに興味がなかった。私は初孫で祖母に溺愛されていたので、定期的に洋服が送られてきて、それで事足りてしまっていた。そのためお店で着たい服を選ぶという経験が少なかった。

なおかつ生育が良い子供だったので、早々に子供服からは離脱していまい、着たい服より着られる服を選ばざるを得なかった。精神年齢にそぐわない洋服を選ばねばならず、ファッションに対する諦めのような気持ちもあったかもしれない。

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そうこうしているうちに大学生になってしまった。制服がなくなって私服を着る機会が増えても、私はファッションに興味が持てなかった。ジーンズにTシャツがデフォルトだった。ジャージじゃないだけまだマシだろうと思っていたくらいだ。

そもそも私は流行しているファッションがおしゃれと思えなかった。私が大学生の頃、プードルコートが流行っていた。私にはそれがどうしてもおしゃれには思えなかった。プードルコートは犬のプードルのようにモコモコしたコートだ。今、「プードルコート」と検索すると白や茶色の無難な色の物が出てくるのだが、なぜかその時は薄いピンク色のプードルコートが流行っていた。私にはそれがONE PIECEに出てくるドフラミンゴという悪役が着ている服にしか見えなかった。

私以外にもそう思った人は少なからずいたようで、ドフラミンゴコートやドフラミンゴ系女子などという言葉が生まれていた。ドフラミンゴっぽいこともあってか、流行っているのはわかるのだがおしゃれとは思えなかった。

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そんな折、親戚を訪ねるべく本州から九州へ渡った。長旅のため、福岡で一休みがてら観光をした。当て所なく天神をプラプラと歩いていると、天神はおしゃれな人が多くて驚いた。おしゃれと言っても、今どき流行りのファッションに身を包んでいるというわけではない。「私は!この服を!着たくて!今日は!こういうコーディネートです!!!」と全身で叫んでいるかのような服装の人がいたのだ。一人、二人ではなく結構な人数が。

それはもう衝撃だった。私が知っているおしゃれとは全く違う。私が知っているのは「おしゃれかどうかはわからないけど、これが流行っているので、とりあえず着ています」みたいな感じだ。私が住んでいる地域の街中はそんな感じの人ばかりがおしゃれさんを気取って歩いている。天神で一番印象に残っているのはピンク色の浴衣にリュックを合わせていて、全体的にメルヘンチックにまとめあげていた女性だった。天神のおしゃれさんたちがおしゃれなのもさることながら、それらを違和感なく受け入れられる天神という街の包容力もあったのかもしれない。

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天神のおしゃれさんたちを見て私はファッションに目覚めた。流行っているからではなく、自分でおしゃれかどうかを決めていいんだ。そう意識が変わると、ファッションに興味を持つことができた。流行のファッションを全て取り入れようとするのではなく、その中で自分が気に入った物を取り入れたり、古着を試したりしていた。そうこうしている間に今度は化粧に興味を持ったりと楽しみが増えていった。

あれから就職やコロナ流行など、いろいろと事情があって天神には行けていない。また天神に行きたいなぁと思うと同時に、行くとしたら一体、何を着て行けばいいのだろうと緊張が走る。観光客なわけだし、旅の恥はかき捨てと言って気負わなくてもよいのかもしれない。でも密かに今度はおしゃれさんとして天神に行きたいなという野望もある。

私におしゃれを教えてくれた天神という街は、おしゃれさん以外にはハードルが高いのだろうか。いや、おしゃれさんでも、おしゃれさんじゃなくても、天神という街は受け入れてくれるに違いない。