小学生の頃、私は学童に通っていた。共働きの家庭が多い地域で育ち、私もそのうちの一人だった。夏休みでも早起きをして、両親と一緒に玄関を出て学童に通った。学童の先生たちはたくさんイベントを計画してくれた。そのうちのひとつが「みんなでアイススケートをしに行こう」というものだった。

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小学一年生、人生はじめての夏休み。人生はじめてのアイススケートである。雪も降らない常夏で育った私たちにとってアイススケートというのは、より特別なものだった。夏だと言うのに長袖を着て手袋をして吐く息が白くなる異世界へ飛び込むことが、本当に楽しみで仕方がなかった。そんな私を横目に「そんな寒くないけどね」とスカしていたのが、「あの子」である。こいつ、アイススケートは2回目だったみたいで、非常に偉そうだった。

そしてはじめてのことは、たいてい上手くいかない。仕事の忙しさのせいでしっかり手紙を読まなかった両親は、私に長袖長ズボンの着替えだけを持たせて出発させたが、実はアイススケートのリンクに入るには軍手を購入しなければいけなかった。毎年来ている人は軍手を持っているから参加料に含まれていなかったのだ。お小遣いを持ってくるべきだった。事情を察した先生が配慮してくれて、どうにか無事、リンクに入ることができた。

入れたはいいものの、今度は上手く滑れない。壁にしがみついて、一歩踏み出すだけですっ転んだ。それでもアイススケートは楽しかった。しばらく経つと体が慣れたのと動いて暖かくなったのとで、意外と涼しいくらいの体感になっていた。それを一年生組でしゃべっている時だった。

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「全然ぬるいよ。東京とかの冬よりは全然寒くない」

「あの子」である。やつは県外や海外に親戚がいるとかで、渡航歴も小学一年生にしてはやたらとある方だった。夏のリンク上で「本物の雪を見たことがある」とマウントを取ってきた。

「ふうん。たぶんだけど、東京より北海道の方が寒いと思うけどね」

そしてこれが当時の私の反撃である。まだ雪も見たことなかったし北海道にも行ったことがなかったくせに、本物を知っている相手に対して弱すぎる反撃である。バカすぎる。

「そりゃそうでしょ、北海道の方が雪も積もるもん。知ってる?東京ってそんなに積もらないんだよ?」

知らなかった。ほらね、本物を知ってるやつは違う。でも次の私のターンは、自信があった。

「でもさー、北海道より南極の方が寒いんだよ? 最近お母さんと南極の映画見たもん。顔、真っ赤になるんだよ?」

これはいい返しだった。小学一年生、精一杯の知識戦である。地球上で一番寒い場所を知っている人なんて、まだそんなにいるまい。勝ったな、と思った。

「知ってるし、だってうち、南極も行ったことあるもんねー、それに比べたらここなんて、暑いくらいだね」

絶対に嘘だ。でも「嘘でしょ!」と言ったところで「証拠は?」と返されて負けるのは目に見えていた。絶対に、絶対に嘘なのに、私の負けだった。超絶悔しかった。

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悔しいことはこれで終わらなかった。アイススケートも終わる頃、お小遣いを持ってきている子達は、それぞれカップヌードルを買っておやつにしていた。お小遣いを持ってきていない私は買えなかった。その隣であいつは、ドヤ顔でカップヌードルを啜った。もう、とんでもない屈辱だった。

あいつは私が大の麺好きということも知っていた。その上でクッソ美味しそうに食べるのだ。あったか〜いとか言って。

泣きそうになってる私を見かねた先生が

「少し分けてあげたら? 一口だけでもさ」

と言ってくれた。

「いいよ?  少しだけね?」

結局くれたのは麺2本だけだった。
私は家に帰ってから泣いた。もうそれはそれは、わんわん泣いた。

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「あの子」とはそれ以来、色んな小競り合いがあった。マウントを取られ、反撃し、嘘をつき、暴き、味方に付け、裏切り、仲間外れにし合い、真似し、真似され、ムカつき、逆ギレし、口論し、無視し、嘲笑い、笑われ、時に共闘し、時に違う派閥でいがみ合う、そういう仲だった。

急に仲のいい時期が来て急に冷戦が始まる。そして気がついたら仲直りしている。その繰り返し。こいつにだけは絶対負け越したくない。そのためには強くないといけないし、相手の出方に合わせて反撃できるしなやかさも必要だった。

「あの子」との仲が、それなりに特殊なものだったと気がついたのは、お互い別の進路に進んだあとだった。高校生になってからはじめての夏休み、久しぶりに会って話した高校の感想が全く似たようなものだったのが笑えた。別の高校なのになって。

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小中学生の頃の私たちは、あまりにアホでバカで浅はかで、それゆえに余計な争いが多かった。でもそうするしかなかった。方法を知らなさすぎた。それでも私は、「あの子」とめちゃくちゃな争いをする毎日があったことに今とても感謝している。

みんなが「面白いね」「独特だね」と言ってくれる私の意見や作品は、「あの子だったらこう考えてこう仕掛けてくるんだろうな、だったら私はこう捻る」と、一旦「あの子」を経由しているのだ。私が生み出す何某には必ず、「あの子」の要素が含まれてしまっている。認めたくないが、悔しいことにそうなってしまっている。

現在の私たちはお互いの誕生日に「おめでとう」とLINEを送り合う仲である。毎年必ず。律儀なことだ。「あの子」がくれるHappy  birthdayは世界一早い。付き合っていた時の元彼よりも早かった。これを知ったら幼い私はどんな顔をして笑うだろうか。ずいぶん穏やかな仲になったもんだ。

だからといって、アイススケートの時の嘘を、2本の麺の屈辱を、私は許していない。いつか必ず南極ででっかいカップヌードルを啜ってやると思い続けて約20年になる。

実は今、私の手中には南極へのチケットがある。次くる2月、南半球一周の旅路の中で、私は南極圏に突入する予定だ。