昔は色々と寛容で良かった、という方がたまにいる。平成生まれの私にとって流行の昭和レトロやファッションは好きだけど昔の「寛容さ」について良かったなと感じる事は考えても浮かんでこない。
この寛容という言葉によって望まぬ環境に無理矢理縛り付けられていたマイノリティーの方がたくさんいたんじゃないか、と思えてならないからだ。時代を巻き戻すと、その縛り付けられていた多くは女性。今日女性である私の権利保障は名もなき市井の人々が声を上げてくれたからこそ得られたもの。ただ、今の時代も女性の生きづらさが完全に払拭された訳ではない。これは年を重ねてより強く感じるようになってきた。どこにでも古い慣習や考え方は当事者にならないと分からない。
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最初に疑問を抱いたのは中学校の時の校則だ。禁止されていた制汗シート等の利用でクラスメイトの女の子が生徒指導されていた。身だしなみをキチンとしましょう、と口酸っぱく言われて髪形や靴下の長さ、ヘアゴムの色まで指定して「清潔感」を保ちなさいと言っていたのにエチケットの為に利用するアイテムに「化粧品」と判定する大人たちの理屈が理解できず、その考え方って間違ってるんじゃないの?と嫌悪感を抱いた。
同じ考えを持った人は多かったらしく、翌年の生徒総会で議題に上り、投票も行われた。しかし校則の改定には至らず、結局私が卒業するまで「制汗アイテムや日焼け止めは化粧品」という規則が撤廃される事はなかった。当時男女比があまり変わらなかったものの、男子の賛同が得られなかったのが理由の一つだ。この出来事から5年も経たない内に「ブラック校則」という言葉が世間で話題になり、その影響もあってか母校の校則もだいぶ緩やかになったと教職に就いた知人から聞いた。その時になぜか中学生だったあの頃の私が少し救われたような気持ちになった。
声を上げてアクションを起こしても結局無駄なんじゃないか、とささくれていた当時の気持ちごとなくなった。当事者だけが重要なんじゃない、自分と同じ理不尽な思いや体験を後輩たちに残さない為には行動を起こして主張するのが大切なのだと身をもって学んだ。
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大人になった今、変えていきたい世間の常識は少なくない。むしろ日々増えている。経口避妊薬やアフターピルが普及する障壁や、女性の生理用品や赤ちゃんの紙おむつの軽減税率の非適用、マミートラックと呼ばれる産後の女性に立ちふさがるキャリアの壁、日本における性犯罪の刑罰の軽さ…私がこれまで受けてきた恩恵を後の世代の女の子たちに少しでも増やして提供してあげたいし、「女だから優遇されている」なんて考え方がなくなって欲しい。
それにはマジョリティである私たち女性が声を上げる事が最も重要だ。加えて、「こんなものだよな、自分の権利なんて」と諦める事は決してして欲しくない。中学時代の私も「学生だから先生の言う事は絶対聞かないとダメだよな」と考えていた。おかしいと声を上げられたのは先頭に立って意見を主張してくれた先輩の女子がいてくれたからだ。ファーストペンギンになるのはもちろん勇気がいる。だけどその後ろ姿に励まされる人も少なくないはず。これからは私が少しでも道を切り開いていけるように声を上げ続けていきたい。