あぁ、またこの時間がきてしまった。

長い長い一日が終わり、布団の中でうす暗い天井を見つめる。
そこにぷかりと浮いている電球とにらめっこ。
しんと静まり返った部屋で頭の中の私だけがうるさく話している。

これから具合悪くならないかな。
明日の通勤途中で大雨が降って事故らないかな。
明日行かなくていいくらいの事件が起こらないかな。

寝る前の、明日どうやったら出社回避できるかについての作戦会議。
私にとっては緊急かつ最重要事項であり、毎晩のように舞い込んでくる案件だ。
もはや儀式と言ってもいい。

◎          ◎

健やかな気持ちで働ける方法を考えるより、最悪の事態が起こった場合を考えることが多い。
そのほうが、会社に行った時に仕事を放り出してサボっていたのではないかと、他の社員から疑いをかけられることもない。

「大変だったね」と心配の眼差しで見られるだけでおわる。
私も決して仕事に行きたくないから休んだわけではなくとても大変だったんですぅという顔をして出社することができる。

今のところ、天気や事件を頼みの綱として休むことが出来るというのは難しそうだから、すべては私の体調にかけられている。
がんばれ私。
具合悪くなるんだ。
そう自分を鼓舞したところで、頭の中の私の言葉たちは少しずつ静まり、明日に備えての作戦会議は終わった。

◎          ◎

しばらくすると、不吉な知らせが意にも反した爽やかな鳥の鳴き声音で届く。
いやいや、ついさっき寝たばかりですけど、と不満全開の顔をしてからスマートフォンを見れば、朝の7時。
カーテンの隙間から見える空は、心とうらはらに澄んだ青色が天高く、一日のお天気を証明している。

大雨や事件が起こりそうもないほどの天気に、うめき声がもれる。
そして、肝心な私の体調はというと。
具合は、良い。
これは出社せざるを得ない。

秋晴れの空を恨めしく思いながら、しぶしぶ出勤の準備をした。
でも今日は朝一で取引先との商談があるため外回りからスタートだ。

会社で待ち受けている、目の光がなく巨大な熊のように図体が大きい40代の上司と、定年過きたが嘱託社員として働いている多少ボケが入ったおじいちゃん社員の顔を、朝から見ないで済むだけでとりあえす良しとしよう。

◎          ◎

お昼過ぎ、取引先との商談を終えて目の光がない熊上司にこれから戻ると電話した。

「おつかれさまです。これから」「お前今何時たと思ってるんだ!」

わたしが言い終えるのを待たずにびりびりとした怒声が飛んできた。

「こっちはただでさえ人数がいないなか店まわして忙しいことくらいお前だってわかるだろ!なんで効率良く仕事できねえんだよ!早く帰って来い!」
「すみませんこれから戻ります」
「何時にだよ」
「取引先のところだったので車で1時間くらいかかるかと…すぐ戻ります。申し訳ご」

ブチッ。プープープー。
話の途中で電話は切れた。
今まで先生や親から怒られたこともなく生きてきたため、こんなに大きな声で他人の怒りを全身に浴びせられたのが、生まれてはじめてだった。
驚きとショックで頭の整理もつかず、泣きながら会社への道を急ぐ。

「怖い」

知らず知らずに口から言葉がでてくる。
店の前まで1時間かかるところを信号をくぐり抜け30分で戻ってきた。
だけど、会社へ行けない。
会社の目の前まで来てずっと周辺をぐるぐると回る。
入れない。
怖い。

◎          ◎

ながいながい怒涛の一日が終わり、布団の中で虚空の天井を見つめる。
昼間は結局、会社へ足が向かず過呼吸になり吐き気もしてきたため、怖い熊上司とは別の上司に電話で事情を話し、早退してしまった。
怒られてしまった自分はなんて謝らなきゃ。

明日は会社へ行かなきゃ。
頭の中のわたしは、ずっと自分への激しい責めと、明日出社したときに「どのタイミングでこういう動きで」謝罪すべきかまでも考えた。
昨日よりずっと暗く、深く、遠く見える天井。
天井に浮かんでいる電球は、じっと私が苦しんでいるのを見ているように感じる。

明日への不安。
明日は行かなきゃ。
謝らなきゃ。

いつもは「行きたくない」、「どうしたら行かなくていいか」を考えるだけだったが、今はどうしたら行けるようになるか、行けたらまず最初にとるべき行動と言葉を必死に考える。
明日は行くぞ。
行くぞ。
よし。

長く暗い私の夜がはじまる。
いつか明ける夜を、じっと待つ。