人生で初めて、眠れない日々が続いた。これは、何かがおかしいと私自身も感じ始めていた。いや、もっと前からその理由は分かっていた。心が、体が、悲鳴をあげていたのだ。
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大学を卒業して初めての就職先。自分で言うのもなんだが、会社から期待されていたと思う。営業職として入社して、初めての配属は、アパートから片道1時間の営業所だった。会社の中で一番歴史のある、古びた事務所に、所狭しとデスクや資料が置かれていた。色々な意味で営業所の中でも一番大変と言われる場所だった。業務量がとにかく多くて、営業は遅くまで残業していた。大変なこともあったが、入社したてでまだまだやる気もあったため、何とか乗り越えていた。
入社して半年も経たない内に、会社に新しい部署を立ち上げるということで、私が抜擢された。しかも、たった1人。直属の上司は、会社の役員。新規事業部の営業は私1人で、他の営業所と協力していくということらしかった。
最初の頃は、プレッシャーを感じながらも、会社の期待を一心に背負い、一生懸命出来ることをやっていたつもり。
実際に業務が始まってみると、日々の決まった業務がある訳でもなく、私1人のために営業所や部屋があるわけでもなく、事務部門のデスクの中に1人配置された。
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マニュアルもない。物理的にも気持ち的にも居場所もない。曖昧な業務内容は、まだ社会人経験半年の私が背負えるものでは無かった。同じ業務をしている人がいないため、業務に関する相談をできる相手もいなかった。
そういった日々が続き、ストレスは増すばかり。いっそ、病気や怪我で会社に行けなくなればいいのに、何度そう思ったことか。でも悲しいかな、そう思っている時ほど、思い通りにはならないものだ。
胃痛や動悸、頭痛や目眩などの不調を感じることも増えてきた。責任、重圧、孤独。1人で戦うには手強すぎた。
やっとの思いで、部署異動か、メンバーを増やして欲しいと、涙ながらに人事に相談するも、部署異動は叶わなかった。
結果、上司が増えた。総務部と兼務の上司が、役員と私の間に入っただけ。実務はほとんど担当しないため、ワンクッション増えただけ。私が求めていることは、そんなにも贅沢なことなのだろうか。
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夜になると、明日が来ること、逃げられない、辞めたい、色々な感情が頭の中で渦巻いて、私と感情だけが存在する真っ暗闇の世界で、向き合う時間が怖かった。
眠るのが怖いというのは、初めての経験だった。真っ暗闇で聞こえるのは、自分の呼吸と、鼓動の音。それと時計のチクタクという音や、外から聞こえる車の音。いつも以上にそれらが大きく大きく聞こえて、呼吸の仕方、唾の飲み込み方が分からなくなって焦ったり。収まる気配のない鼓動は、意識すればするほどスピードを上げていった。息苦しくて、眠れなくて、気付いたら疲れて寝落ちして、ぐったりとした朝を迎えた。
目が覚めると、眠さや疲れ、ダルさは残っているのに、頭だけは覚醒しているような感覚を覚えた。仕事に行きたくない。体が重い。起き上がって、準備した朝ごはんも中々喉を通らなくて、無理やり口に押し込んだ。そして、始業時間ギリギリの出社。そんな日々が続いた。
そんな状態でも会社では、よそ行きの顔が出来てしまう自分が憎たらしい。
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さすがに眠れないとなると、全てが悪循環で、自分の心と体が壊れてしまう前に病院に行こうと思った。いや、既に壊れかけだった。だってあんなに好きだった事や物を、したいと、欲しいと思わなくなった。なんだか、感情のポジティブな部分だけ、小さく小さく押し固めて上からカバーをかけて隠してしまったような、そんな気持ちだった。常にぼやっとして、興味が無い、湧かない、楽しくない。
約1ヶ月先に新規で精神科の予約をとり、有給申請をした。どうか、休んだ方がいいと行ってくれますように、そう願って。
初診の日、先生を前にしていざ話そうとすると涙が止まらなかった。すぐに休んだ方がいいと言ってもらえた。うつと診断書を書いてもらい、会社は休職、のちに退職した。
睡眠導入剤を人生で初めて処方されて飲んだ。相変わらず自分の力では眠れそうにない体とは裏腹に、薬を飲んで暫くして、ゆったりと眠気がきた。久しぶりに、薬の力を借りて、眠れない夜との戦いをせずに眠れそうだと嬉しかった。それから、半錠の睡眠導入剤をお守りに寝る練習。数ヶ月たって、薬無しでも眠れるようになった。
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眠れない日が続いたら、それは心や体が悲鳴をあげているサイン。私は踏み出すのが少し遅かった。これからは自分の心と体にちゃんと向き合っていきたいと思う。